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隠退牧師 holala によるブログ

クリスマスに思う(3)神が遣わす救い主

 救い主はどのようにして罪の赦しに関わるのでしょうか。旧約聖書では、罪を犯したときは、動物の犠牲を献げるべきことが律法で定められています。動物の犠牲をいくらささげても献げた人の心が変わるわけではありません。罪を犯し、いけにえを献げたときは、罪を犯さないようにしようと決心するかもしれませんが、また同じ罪を犯すことはよくあることだと思います。

 救い主は別な形で罪の赦しと関わることになります。人間の犯した罪ですから、動物のいけにえではなく人間が償う必要があります。神さまに対する罪は本来、自分の命をもって償うわけですが、それができないから動物のいけにえによる罪の贖い、償いを神さまは定めたわけです。しかし救い主は人間による償いと関わります。

 それでは、だれが全人類の罪の償いをすることができるでしょうか。現実の人間は、自分自身罪を犯します。命をもって罪の償いをするにしても、それは自分の罪だけです。罪を犯す者が他者の罪の償いをすることはできません。それゆえ全人類の罪の償いをできる人は一人もいません。言い換えると全人類の罪の償いをできる人は、全く罪のない人だけです。

 全く罪のない者として生まれ、生きる人だけが全人類の罪の償いをすることができます。しかしこの世に生まれてくる人はみな罪を犯します。どうしたらいいのでしょうか。そこで神さまは、罪のない者をこの世に遣わそうとされました。そんなことどうしたらできるのでしょうか。そこでクリスマスの出来事です。

マタイ 1:20~21
主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

ルカ 1:30~35
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。・・・聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。

 聖霊によって身ごもったマリアは、罪のない男の子を産みました。この子が全人類の罪を償う、贖うことが可能となります。

ヘブル 4:14~15
さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

ヘブル 7:26~27
このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

 神の子イエスは、罪を犯すことなく、死に至るまで神に従順に歩まれました。このような方だからこそ、救い主となることができました。神さまは聖霊によって身ごもる男の子を救い主として用意されたのです。聖書には不思議なことが書かれています。聖霊による誕生。死者からのイエスの復活。代々の教会はこのイエスは神であると告白してきました。神が人となったのです。

 神さまの御業は人間の思いを越えています。

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古都奈良の秋を感じます。新薬師寺。