(クリスチャンの成長(74)キリストに結ばれて-32)
個人的な罪、つまり自分が犯す罪との戦いは勝利が約束されています。自分の力で勝利できれば、人は罪を犯さずにすみます。しかし人は自分の力で罪に打ち勝つことはできないと聖書は語ります。しかし救い主イエスが十字架につき、復活され、救いの出来事が起きました。この救いは罪の赦しだけではなく、罪に対する勝利も恵みとして信仰者に与えられます。
1.聖霊の助け
罪に打ち勝つには聖霊の助けが必要です。罪は具体的に神の教えに背くことにおいて認識されます。私たちが心から罪に打ち勝つことを願い、真剣に神の教えに従うことを願うなら、聖霊の助けが与えられます。聖霊は真剣にみ言葉に従う人を助けます。
2.罪との戦いについて
ヘブル 12:4
あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
同じ罪を繰り返しているなら、それに勝利したいと本気に願い、罪と戦う必要があります。祈る必要があります。神の子が十字架についてその命をささげられたからには、その救いは尊い救いです。罪と戦う私たちを救い主イエスが助けてくださいます。十字架の上で、イエスは罪の勢力に身をゆだねましたが、それは罪の勢力に負けたわけではありません。イエスは復活し、死に打ち勝ち罪に勝利したことをお示しになったのです。
ローマ 8:3~4
罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。
御子は人となりました。具体的にはイエスという名を持つ人間としてこの世に生まれました。そして十字架の上で罪を処断したというのです。口語訳聖書では「罪を処罰した」とあります。そして聖霊に従って歩む私たちのうちに律法の要求が満たされるとあります。つまり罪に打ち勝って神さまのみ心に従って歩めることが約束されています。
3.内なる敵
ガラテヤ 5:16~17
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
パウロはここで「肉」について言及しています。罪に打ち勝つためには、この「肉」がなんなのか知る必要があります。私たちの心には肉の欲望がわいてきて、私たちはこれに従い罪を犯してしまうことがあります。私たちが犯す罪の多くは、肉の欲望に負けてしまうところにあります。肉ついて聖書がどう語っているか、次回学びたいと思います。