虫の声が聞こえるようになりました。季節は秋。今日から9月。
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罪からの解放とは、具体的には、個別的な具体的な罪からの解放を意味します。つまりこれまでやめられなかった罪を犯さなくなることを意味します。私たちがどうしても罪を犯してしまう理由の一つに「肉」があることを前回書きました。
私たち人間は神によって造られました。神は人間の存在をよしとされました。人間を喜ばれたのです。神は人間に自由を与えられました。神は人間をロボットに造られませんでした。するとどういうわけか、人間は自己中心的に振るまい、神を憎み、隣人を憎む傾向を持つのです。神の御心は神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することにあるのですが、神を愛さず、隣人を愛さず、自分だけを愛するような傾向の心を人間は持つのです。この傾向をもたらすものを聖書は「肉」と呼んでいます。
この「肉」の力は強く、私たちはこの「肉」の支配下にあり、罪の支配下に置かれ、罪の奴隷となっていました。罪を犯さざるを得ない存在になってしまいました。しかし今やキリストの救いが現れ、この「肉」の支配は絶対的なものではなくなり、罪の支配も絶対的なものではなくなりました。私たちはこれらに勝利できるようになりました。個別的具体的な罪に私たちは勝利できるようになりました。これが罪からの解放です。
一つ問題があります。私たちの心には「肉」があります。「肉」の働きがあるために、私たちに罪を犯すよう働きかける力があるのです。詩編51にこう書かれています。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
自分という存在が罪に傾いていることをダビデは告白しています。それは「肉」のせいです。私たちが信仰者として歩む時、具体的な罪に勝利し、これまで犯し続けてきた罪に打ち勝つだけでなく、「肉」の働きを受ける心を強くすることが求められます。
私たちの心は神のみ心に従おうとする心とそれに抵抗する「肉」の働きがあり、私たちの心は実は戦場です。キリストを信じる以前の私たちにおいては、常に「肉」が勝利しました。しかしキリストを信じ、聖霊の導きを受ける者は、心が聖なるものとされていきます。これを聖化と呼びます。聖化の結果、心の戦場では、段々と神のみ心に従おうとする心が勝利をおさめていきます。
心が聖なる者とされていけば行くほど、私たちは罪に負けることが少なくなり、神さまの御心に歩む者とされていきます。そこで問題はどうしたら私たちの心が聖なる者とされていくか、です。それは神の教えに従って生きることによるのではありません。もしこう考えると聖化は人間の努力の結果、ということになります。これは間違いです。人間の努力で聖化を成し遂げることはできません。
一番大切なことは神との交わりを喜び、神との交わりに生きようとすることです。これは私たちの決断と私たちの決断を祝福する神の導きによって可能となります。神との交わりに生きるために大切なこと、必要なことは聖書を読むことです。聖書を読み、神さまを喜び、神さまの御心に生きることを喜ぶようになることです。それには聖書を読む時、いつも聖霊の導きを祈り求めることです。聖霊に導かれる中で、神さまの御心に生きることを喜ぶようになります。つまり私たちの心が聖なるものとされます。こうなれば、私たちは「肉」に負けないようになります。そしていよいよ罪から解放されていきます。
ガラテヤ 5:16
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
霊の導きとは、聖書を読み、み言葉に従おうとする私たちを励ます聖霊の働きです。
聖書の言葉は私たちの心を育てます。聖書の言葉には私たちの考え方を変え、私たちの行動を変え、私たちの人格を新たにしていく力があります。私たちは神さまの御心に背くことを避けようとするようになり、神さまに従うことを喜ぶようになります。私たちは聖なる者として成長していきます。そしてキリストが再びおいでになる時、私たちは全く聖なる者へと変えられ、御国に迎えられます。