クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリスト者の救いとは

 救いとは何か、色々な観点から考えることができると思いますが、救いを「回復」という点から考えてみました。

 電化製品、自動車、パソコンなど、私たちの生活は便利なものに支えられて成り立っています。色々なものが私たちの生活に必要となり、快適さ、利便性をもたらしてくれました。これらのものは明確な機能、働きを持っています。もしその機能、働きに異変が起きたらどうなるでしょうか。期待される働きができなくなったら、私たちは対処します。不具合、故障があれば修理をしてちゃんと使えるようにします。あるいは古いからといって新しいものを購入することもあります。そして快適さ、利便性を確保します。

 神さまは人間を造られました。人間を含め神さまは造られたものを見てこう言いました。 

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)。

  神様に造られた人間は、「極めて良かった」のです。しかし聖書を読むと最初に作られた人間であるアダムとエバは罪を犯しました。旧約聖書を読むと、そこには罪を犯す人間の姿がこれでもかと描かれています。神さまは罪を犯す人間の姿を見てどう思われるでしょうか。「極めて良い」とは言えないと思います。ものでたとえれば罪を犯す人間は、不具合のある人間であり、故障のある人間と言うことができます。そこで神さまはこの人間を修理して、もとの「極めて良かった」人間になるように回復しようとします。この回復を「救い」と呼ぶことができるのではないでしょうか。

 旧約聖書にはイスラエルの民の歴史が書かれています。それは人間は罪を犯す者であり、救いを必要とすることを告げています。そして救い主の到来を待ち望んでいることが書かれています。そして新約聖書は救い主の到来を語ります。救い主は人間を救うのです。つまり「極めて良かった」と神さまが言われる人間に回復させるのです。それが救いです。救いとは、罪を犯している人間を神が「極めて良かった」と語る人間に回復することです。

 そして注目すべきことがあります。それはイエス様です。イエス様はまことの人間であり、しかも罪は犯されませんでした。 

ヘブル 2:14
ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。

  イエス様は私たちと同じ、人間です。イエス様は人間としてこの世を歩まれました。

 ヘブル 4:15

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

   しかしイエス様は私たちと違い罪は犯されませんでした。イエス様は不具合や故障を持つことのない人間、神さまが「極めて良かった」とする人間なのです。

 ですから罪を犯した人間が、神が「極めて良かった」とされる人間に回復するとするなら、それはイエス様に似た人になることを意味します。信仰者が救われて生きるとは、イエス様に似た者を目指して生きることを意味します。 

ヨハネ一 3:2
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。

 フィリピ 3:21

キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。 

   キリスト者にとって生きるとは、キリストに似た者となることを目指すことです。それが救われて生きるということです。この世の生活をする中で、キリストに似た者となることを目指す、それが救われた人の歩みです。ものが故障したときは、できるだけ早く修理してすぐに使えるようにすることが必要です。しかし人間の修理、キリストに救われて、救われて生きるキリスト者の歩みは、神の国に迎えられるときに完成します。

 人はそれぞれ異なった個性を持ち、異なった環境に生まれ、育ち、生きていきます。異なった人生を歩みます。その営みを通して、キリスト者はキリストに似た者を目指します。これは人間の力だけで成し遂げられることではありません。そもそも人間を修理するのは神さまです。神さまは私たちを助け、導かれます。神さまご自身が私たちを救うのです。

 キリスト者はものと違って意志を持っていますので、どのように生きるかは、キリスト者の自由です。神の助け、導きを得てキリストに似た者とされていく道を歩む人は、救われて生きることになります。救われて生きるために必要なものは聖書と聖霊の助けです。そしてキリストの体である教会に属して信仰に歩むことです。神さまは人間を修理する(救う)方です。造り主である神さまの御心を知って生きる人に祝福がありますように。

 

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あるカフェの庭で