最近思うことは、福音の奥深さをどれほど自分は知っているのだろうかということです。福音の広さ、長さ、高さ、深さを知りたいとの思いがあります。牧師の働きからは隠退しましたが、聖書は読み続け、内容を追求していく心に変わりはありません。昨日説教の準備で『ローマ書講解5章』(ロイドジョンズ、いのちのことば社)を読んでいました。すると神の恵みはどのようなものであるかが書かれていました。
神の恵みとして以下の七つのものを上げていました。
- 私たちを捜し、自分の罪を自覚させる(罪の自覚)
- 私たちに真理を確信させる(真理の認識)
- 私たちを新生させ、命を与える(新生)
- 悪しき行為を抑制する力を与える(自制)
- 私たちの内にある罪から私たちを清める(聖化)
- 私たちを支える(悪の力、この世の力、誘惑)(加護)
- 堅く忍ばせ持ちこたえさせる(忍耐)
なるほどと思います。信仰者を生かす神の恵みですね。僕自身は、恵みの種類を数えたことはありません。僕にとって恵みは、み言葉に従って生きることを可能にしてくれる力です。この恵みが太陽の光のごとく、私に注がれています。恵みを与えられ御言葉に生きることができます。信仰者は恵みの支配下に生きています。上記の恵みを僕流に言い換えると次のようになります。
- み言葉に反発する自分の罪を知らされます。
- み言葉を真理と確信させ、真理に信頼して生きるように、導きと力を与えてくれます。
- み言葉によって生きるという新生が与えられます。新生とは漠然としたものではなく、聖書の言葉によって生きるように生まれ変わることと僕は考えています。
- み言葉の命令、警告は、悪しき行為を行うブレーキとなります。
- み言葉に従い、罪に打ち勝ちます(聖化)
- み御言葉に生きいようとするとき、悪魔の誘惑や世の力から守られます。御言葉に立つとき、悪魔は去って行きます。
- み言葉は困難、試練の中で忍耐を与えてくれます。
神さまは、信仰の有無を問わず、すべての人に太陽を昇らせ、雨を降らしてくださいます。これはすべての人に与えられる恵みです。信仰者だけに与えられる恵みがあります。上に述べた恵みが与えられます。
律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。(ローマ5:20)
↑アカマンマ(イヌタデ)