クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

確信を持って信じられるか

 

  10月14日(日) G教会で説教した録音を右のリンク「隠退牧師holalaの説教」で公開しました。時間のあるときに聞いてもらえるとうれしいです。

 

 聖書が告げる終末のこと、あるいは死後の希望についての聖書の約束を私たちは100%の確信を持って信じたいとの思いを持つのではないでしょうか。100%の確信を持てないと、自分の信仰が弱いのではないか、と思ったりします。昨日祈祷会で、確信のことが話題になったので、私は100%の確信は持っていませんとお話ししました。99%の確信を持っていたとしても100%の確かさではありませんし、信じることには疑いがつきもので、疑いは湧いてくるもので、湧いてこないようにすることはできません。

 この確信については私も悩みました。そして得た結論は、

  • 100%の確信を持つことはできないこと、
  • %の数値は限りなく上げることができること。

 確信について考えるとき、私は聖書を考えます。聖書は真理を語っている、このことを私は信じます。聖書が神のことを語る、だから確かなこととして、神を信じることができます。聖書は救いについて語っており、それは真理であると私は信じ、救いを求めました。聖書は神の言葉であると信じます。聖書が語ることは真理である、そこに信仰の根拠、確信の根拠があると私は考えています。そして私は神の言葉を信頼し、神の言葉に立って歩むように努めます。

 大切なことは、神の言葉への信頼です。神の約束への信頼です。疑いが生じるとき、神の言葉を真理と信じる、と告白し、私は神さまをたたえます。神の言葉を疑うのか、それとも神の言葉は真理として神をたたえるのか。私は後者を選びたいです。

 私が「確かさについての結論」を得たのは、神の言葉が真理である、そこに信じるときの確かさがあると知ってからで、長い信仰生活を経た後でした。確信の根拠を自分の手に持つことはできない、と考えています。