月曜から東京に行ってきました。目的は妹の見舞いです。私は三人兄妹で、二人の妹がいます。みな子供たちを独立させて老いの段階に入っています。上の妹が病を得て今は施設で生活をしています。
彼女は小学校の教師を定年まで勤めました。途中から障がいのある子どもの教育に携わり、それを自分の使命として定年まで教師として働きました。子育てをしながらの仕事でしたから大変だったと思います。でも使命があることは生き甲斐を与えます。自分の使命を果たし終えた充実感はあるだろうと思います。私と妻、下の妹夫婦、そして上の妹のご主人と一緒に見舞いました。お話をし、讃美歌を歌い、祈って、その場を去りました。兄妹三人の写真も撮りました。
妹の病気は適切な治療方法がなく、進行を防ぐだけの治療です。私は、この妹が自分の人生を振り返り、生かされた感謝の思いを持つことができるように、そして平安な心で日々過ごすことができるようにと祈っています。
昨日は教会の祈祷会に出席しましたが、会員の消息で、年配の教会員の様子をうかがいました。老いても住み慣れた地を離れがたく子どもとは離れて生活を続ける方、自分一人の生活がままにならず、子どもの家の近くに転居する方、それぞれ重荷を負っておられます。私の妻の母も、老いて長年住んだ長野を離れ、金沢にいる私たち夫婦と一緒に住み、長寿を全うしました。隠退した今、こうした方々を覚えて祈ることが大切な働きであると覚えさせられています。
東京に行ったおり、ジョルジュ・ルオーの展覧会を見てきました。ルオーの画集は手元にあるのですが、やはり実物を鑑賞したいと思い、よい機会を与えられました。画家はどんな思いをもって「聖顔」(キリストの顔)を描いているのだろうかと想像します。私には何のひらめきも与えられませんでした。聖書にはキリストの身体に関する描写はありません。絵からは御言葉は響いてこなかったというのが、私の感想でした。
↑ 東京、市ヶ谷。