holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

アイデンティティー(2)

 神さまはご自分のアイデンティティーを明らかにされます。神さまは、アイデンティティーどおりのお方です。神さまは信仰者のアイデンティティーを語ります。信仰者のアイデンティティーは、「正しい人間」「神の子」です。しかし私たちの存在は、アイデンティティーどおりとは言えません。私たちは罪を犯します。神の子らしからぬ思いを抱きます。私たちの現実とアイデンティティーのギャップをどう考えたらよいのでしょうか。

 一つの考えは、名実共にアイデンティティーどおりの人間になるように目指すという考えです。でもこの考えは間違いです。なぜなら、「正しい人間になるべきである」とか「神の子になるべきである」と聖書は教えていないからです。神さまは、信仰者のことを「正しい人間である」と見ておられます。神さまは、信仰者を「神の子」と見ておられます。ですから、私たちは、「正しい人間である」「神の子である」と信じるのです。すぐには信じることができなければ、私たちは、「正しい人間である」「神の子である」と考えるのです。そしてこのアイデンティティーを喜ぶのです。

 私が見る「私」は、アイデンティティーに達していません。神さまは「私」を、アイデンティティーどおりの人間と見ます。どちらが真実なのでしょうか。私は神さまの見方を信じます。私たちがアイデンティティー-どおりの人間であることは霊的な現実なのです。経験的な事実ではないのです。私たちの経験的な現実つまり私が実感する私と、霊的現実としての私を区別する必要があります。私たちは神さまから与えられたアイデンティティーを喜び、正しい人間として生きていくのです。神の子として生きていくのです。これが信仰者の歩みです。私たちは、自分のアイデンティティーを喜び、自分のアイデンティティーに生きる努力をします。

 もし私が神の子であることを喜ぶなら、嘘をついたり、人を憎んだり、人に対して冷淡になることにブレーキを感じるのではないでしょうか。神の子らしくありたいとの思いが、私たちを神の子らしくしていくのです。自分のアイデンティティーを信じると、私たちはアイデンティティーどおりの人間になるように変えられていきます。これは神の恵み、聖霊の働きによるものです。なぜなら実感ではなく、霊的な現実(自分のアイデンティティー)を信じることができるのは、神の恵み、聖霊の働きに他ならないからです。

 まずは、自分のアイデンティティーを喜びましょう。神さまの目に私は正しい者、神の子。うれしいなあ。うれしいなあ。 

 注意してください。悪魔がささやいてきます。「お前が神の子、お前が正しい者? 本気で信じているの。だってお前の現実を見て見ろ、違うじゃないの」。その時は、荒野で悪魔の誘惑を受けたイエス様のように「聖書にこう書いてある」と宣言するのです。

 

「わたしは、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(ガラテヤ3:26)。

 

「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです(ローマ3:24)。

 

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↑友人が牧会する南紀の台教会。月曜日訪問しました。