クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

「老い」を感じる日

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寒いのに花を見せてくれます


 久しぶりに「老い」を感じる日を過ごしました。一つには新聞で孤食という言葉を目にしましたことです。その記事には「老いて『孤食』と付き合う」との見出しがついていました。その記事では、妻を亡くした男性が夕食をいつも駅近くの食堂で食べているとの記事がありました。一人でビールを飲んでの食事。

 以前奥さんが病気で寝たきりになり、家庭で介護をし、その時は妻に代わって食事をつくったのです。10年ほど介護と料理の生活が続き、ついに奥さんが亡くなり、ひとりの生活が始まりました。食事をつくることはなくなったとのことです。気力が失せたのでしょうか。

 「今日は誰とも話さなかったと思う日の夕暮れ、だんだん薄暗くなっていく部屋にいると、落ち着かなくなってくるんです」。

  すると駅に向かうバスに乗り、駅近くのいくつかの食堂の中から一つの店を選んでひとりで食事をするとのことです。

 一日誰とも話をしない、食事は一人で(孤食)。こんなことを私も時々経験するようになりました。引退を機会に妻が先立つ可能性を考え、料理はできるように努力を始めました。私は牧師を引退し、娘がいる奈良に転居しました。娘の育児の応援のためです。奈良には以前からの知人はいません。教会の礼拝や集会で一緒になる人が知人となります。集会の時に少し話す程度です。会話は基本的に妻とだけ。娘のところに行けば、多少の会話はあります。それは毎日ではありません。妻が時々長男のいる横浜に行くと、僕は孤食をし、誰とも話さない日を過ごすことになります。今のところ、聖書を勉強していれば一人で過ごすことは苦にはなりません。

 今後、自分の老後の生活がどうなっていくのか、楽しみとは言えない現実があります。年をとった多くの人が経験していることだと思います。老いを生きる、そこには確かに不安があります。

 以前静岡県の御殿場で牧会していたとき、山中湖の別荘村から礼拝に来られる教会員がいました。以前生活していた地を離れて、山中湖村に引っ越してこられたのです。一人暮らしです。その方は「一人暮らしだけどひとりではありません。神さまが共にいてくださいます」と語っておられました。

 老いを生きる方たちに私は敬意を表します。