クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

いのちあふれる集い

 いのちあふれる集いというといささかオーバーな表現に思えるかもしれません。振り返ってみるとそういう集会だったと思えるのです。それは私を含め三組の牧師夫妻の交わりで、ディボーションの分かち合いを主とした集いでした。ディボーション、それは聖書を読み思いめぐらし、自分の状況と照らし合わせ、神さまの導きをいただく聖書の読み方です。神さまの導きといっても、神さまの声が直接聞こえてくるわけではありません。聖書を思いめぐらす中で、こうしたらいいなとか、こうすべきだとか、指針を受け取るのです。それを神の導きと受けとめるのです。神さまの言葉が私の生活に光を当て、導きを与えてくれると信じるわけです。

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)。

 三組の牧師夫妻六名が、それぞれ自分のディボーションを分かち合い、そしてその分かち合いに対して祈り合います。自分が直面している現実と聖書を通しての神さまの導きが語られ、神さまの祝福が祈られます。これだけです。しかしお互いの教会の状況や課題などが分かります。神さまに向き合ったいる信仰者の姿を見ます。真剣にみ言葉に取り組んでいます。み言葉を中心にした交わりです。牧師の務めを果たすために聖書に聞く牧師の姿があります。仲間がいます。祈り合います。そして主イエスが共にいてくださいます。

 少人数の信仰者の集いが、私たちの信仰を育てる大切な集い~いのちあふれる集い~になるのではないか、と私は考えています。教会で持たれる少人数の集会があります。いのちあふれる集いとなることを願います。