クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

説教に伴う思い出あれこれ

 一昨日、ある会で、「伝道者の歩みを振り返って」と題してお話をしました。伝道者としての最初から隠退の日までずっと説教に力を注いできました。一番最初の赴任地は三重県の鳥羽教会でした。最初の説教は徹夜して説教原稿を書き上げたことを覚えています。内容は忘れましたが。その頃は注解書は少なく、説教の準備に苦労しました。教文館という洋書を取り扱う書店からカタログを取り寄せ、英語の注解書を購入して説教の準備をしました。ある時、ベテル聖書研究会の責任を持っておられる先生が礼拝に来られ、礼拝が終わって「よく勉強されていますね」と言われたときは、うれしく、励まされました。

 次の赴任地は静岡県の御殿場教会です。赴任してすぐに年配の長老から「中学生にも分かる説教をお願いします」と言われました。礼拝説教は子ども相手のものではありませんから、分かりやすく、しかも深く説教できることを心がけました。どれほど深い説教ができたかはわかりません。そして「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをユーモアをもって」(井上やすし)を説教を準備する上での座右の銘としました。

 ある時、親しい関係にある教会の長老が訪ねてくださいました。この方も年配の方です。その方がおっしゃいました。「週報に先週の説教の要約を載せる。あれはいかん。載せるなら今日の説教の要約でなければ」。説教を聞く立場からするとそうなのでしょうね。そういう週報を何度か見たことがありました。それを聞いて私は、次の日曜日から、「本日のメッセージ」として説教の要約を1枚のプリントにして毎週配付しました。そしてこれは隠退するまで続きました。あの長老の言葉がなければ、しなかったと思います。あらためて人との出会いは大事だと思いました。

 三番目の赴任地である金沢元町教会では、説教原稿を読みやすく編集して、「本日のメッセージ」として配付しました。礼拝を休んだ方にも説教の内容を伝えることができますし、礼拝に出席した方も説教の内容を確認することができます。

 また説教で伝えたいことを一行で書き表すようにしました。これはある先生が説教について書いた文章から教えられたことです。こうすると説教が一つの目当てに向かって流れていくので、会衆には聞きやすくなり、メッセージもはっきりしてきます。説教で伝えたいことを一行に書き表し、それから説教の原稿を書くことが習慣となりました。

 牧師会で説教演習を行いました。お互いの説教の批判を行います。会ごとに一人の牧師が説教をし、他の牧師たちが批判します。厳しい批判を受けることもありますが、謙遜にさせられ、よい経験でした。「牧師というのは自分の説教に対して自負を持っています。そうでなければ、説教を続けることはできない」と語った先輩の言葉が印象に残っています。いくら自負心があっても、聞き手に届かなければ何にもなりませんから、批判は謙遜に受けとめなければなりません。

 私は説教原稿を妻に読んでもらいます。字の間違いを指摘されるのはよいのですが、内容について、意見を言われると最初は腹が立ちました。少し不機嫌な顔をすると、「いやなら、原稿読まないわよ」と妻。謙遜さが大事と再確認。妻は聞き手になって原稿を読み、聞き手としての感想を述べてくれます。説教を聞いて耳障りな部分を指摘してくれます。原稿を書き換えたことも何回もあります。妻は助け手でした。原稿を読み終わって妻がどんな反応を示すか、今でも不安があります

 私は御殿場教会時代に、生きて働かれる神さまを経験しました。祈りがあざやかに聞かれ、驚きました。これは生きて働かれる神さまの働き以外にないと受けとめました。その時から、聖書は神の言葉であるとの確信に立って、説教することができるようになりました。

 私の説教をよくするために、神さまは人々を用いて導いてくださいました。感謝し、神さまをたたえます。