今日東京の松沢教会から召天者記念礼拝の案内が届きました。私の父は1990年8月21日に亡くなり、松沢教会で葬儀をしました。今から30年も前になります。父が亡くなって30年が過ぎました。もうそんなになるのかと思います。そして私は亡くなった父の年齢を過ぎました。
私の母はさらに遡ること9年前の秋に60歳で亡くなりました。私が牧師となって三重県の鳥羽教会に赴任したその年に、です。私は1981年4月に赴任しました。その夏、両親が鳥羽に来てくれました。二人の幼い孫に会いに来てくれました。その秋、私が説教準備をしていたある土曜の夜に、母が突然亡くなったとの知らせを受けました。気が動転しながらも気持ちを落ち着かせて説教原稿を書き上げ、また私の母教会の先生に電話をして葬儀の依頼をしました。日曜日礼拝を終えて葬儀のために東京に行きました。
父の葬儀の時、会葬者への挨拶の中で私は母のことをこう語りました。「家族を喪った遺族の気持ちを教えるかのように、母は亡くなりました」と。私の両親はクリスチャンではありませんでしたから、母にそんな思いはもちろんありません。しかし私は母が私に教えてくれたのだと受けとめました。
母の葬儀をキリスト教で行ったので、父は律儀に教会に通うようになりました。一ヶ月に一回程度ですが。教会で親しくなった人が別な教会に移り、その人に誘われて父は松沢教会の礼拝に参加するようになり、やがて洗礼を受けました。日曜だったので私は出席できませんでしたが、妻は4人の子を連れて洗礼式に出席しました。
私が鳥羽にいたとき、父は肺がんの手術を受けました。その後私が御殿場の教会に転任しましたが、父のガンが再発しました。「あと三ヶ月です」と医師から言われたので、父に浜松のホスピスに入院してもらいました。最初の頃は私と妻と末の息子と見舞いに行ったときお昼を父と一緒に外食しました。父は孫と過ごすのを楽しみにしてくれていたようです。
そして今私は父が亡くなった年齢を越えました。私も神さまの恵みで孫を与えられましたが、この孫たちに囲まれて亡くなる日がそのうちに来るのだなと思うことのあるこの頃です。