holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

人は死んだらどこへ行く?

 人は死んだらどうなるのでしょうか。牧師として葬儀を行い、式辞を語ってきました。その折には、「亡くなられた」「神のもとに帰られた」「天に召された」などいくつかの表現を用いて語ってきました。「主のもとに召された」と他の牧師が葬儀説教で語るのも聞きました。これらの言葉はイメージに乏しいと今、感じています。年をとり、死が遠くないこと、明日でも不思議ではないという思いがあるからです。

 私はパウロの言葉をもとに一つのことを祈っています。そのパウロの言葉とはフィリピの信徒への手紙1章21~23節にある言葉です。

わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

 私はこれを読んで、パウロのように「この世を去ってキリストと共にいたいと熱望する」信仰を祈り求めています。

 私が信頼をもって読んでいるD.M.ロイドジョンズというイギリスの牧師がいます。もう亡くなられましたが、この方のロマ書の講解説教を読んでいます。先日読んだとき、「人は死んだらイエスのもとに行く」との言葉に出会いました。実は以前にも読んでいて、この言葉が印象に残りましたが、そのうちに忘れてしまいました。今回読んで心に残りました。「そうか、イエス様のもとに行くのか」。

 そして思い出したのがルカ福音書でイエス様の十字架の場面です。イエス様は御自分と一緒に十字架につけられた犯罪者に向かって語ります。

「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。

 人は死んだらイエス様のもとに行く、との聖書の言葉を心に刻みます。

 若いときには考えられなかった思い・導きを与えてくださった神さまに感謝し、私たちを救ってくださる神さまをほめたたえます。

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奈良は昨日梅雨が明けました。
蝉が鳴いています。
青空と山の緑とその上に白い雲がむくむくとあり、
夏の景色です。
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