クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

三途の川?

 私は今、youtube で英語の讃美歌を聞きながら歌うのを楽しみにしています。日本語の讃美歌を原詩で歌うのです。英語の讃美歌を聞いていて思うことが二つあります。

 一つは、讃美歌を日本語に訳した方の苦労です。訳すとき、それを音符に当てはまるように訳さなければなりません。英語の詩を日本語に訳せばすむわけではありません。英語の詩を訳すと文字数で言うと日本語では倍以上になるので、少ない文字数で原詩の意味を伝えるのはかなりむずかしいです。ですから原詩の内容をいかに伝えるのか、苦労があったことを思います。

 二つ目は、原詩で読むとやはり味わいが深いと感じます。私が特に求めているのは、死を越える希望に関わる言葉です。死そして希望をイメージできるからです。今、聞いているのは、讃美歌294番です。

みめぐみゆたけき 主の手にひかれて
この世の旅路を あゆむぞうれしき 

 という礼拝でもよく歌われる讃美歌です。これを英語の歌詞で歌うことに今はまっています。そして4番が特に気に入っています。まず讃美歌294の4番の歌詞を紹介します。

世の旅はてなば 死のかわなみをも
恐れず越えゆかん みたすけたのみて 

 英語ではこうです。

And when my task on earth is done,
When by Thy grace the vict'ry's won,
E'en death's cold wave I will not flee,
Since God through Jordan leadeth me. 

この世(地上)での私の務めが終わるとき、
あなたの恵みによって勝利が得られるとき、
死の冷たい波さえも私は逃げることをしない。
神は私を導き、ヨルダン川を渡らせてくださるから 

  「世の旅はてなば」。日本語では8文字。英語では「この世での私の務めが終わるとき」。私の訳では18文字。18文字の内容を8文字にするのは至難のわざです。訳詞者の苦労が思わされます。英語の「この世での私の務めが終わるとき」。ここには死についてのイメージがあります。「務めをまっとうする」というイメージです。神さまから与えられた務めを果たして地上の旅を終えるというイメージを抱くことができます。こういうイメージ、いいな、と思うのです。

 「死のかわなみを恐れず越えゆかん」。面白いと思ったのは、死んで向こうへ行くには川を越えるという発想です。ジョン・バニヤンの「天路歴程」でも、最後に川を泳いで渡り神の国に入ることになっています。「死のかわなみを越える」。日本的なイメージでは、三途の川を渡るということになるかもしれません。英語の讃美歌はヨルダン川を渡るです。エジプトを脱出したイスラエルの民が、神の助けを受けてヨルダン川を渡り約束の地に入ったことを思い起こさせます。そして私たちも神に導かれヨルダン川をわたって約束の地、神の国に入ると歌われています。私たちは三途の川ではなく、ヨルダン川を渡るのです。

f:id:holala:20200709213045j:plain

休憩中? 散歩道で