クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老人キリスト者の特権

 今週は詩編90編を読んでいます。

【祈り。神の人モーセの詩。】
主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。
あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。
朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。

 以前から黙想したいと思っていた詩編です。人生は短くはかないとあります。昔は寿命が短く人生は短いと感じられたようです。平均寿命が44歳だとしたら、人生は短いです。この詩篇には「人生の年月は70年ほどのものです」とあり、私たちが読むとそうだと思いますが、実際は違うようです。聖書にはイスラエルの王の記録が書かれています。ダビデ、ソロモン、レハベアム・・・・。この王たちの寿命を平均すると44歳だそうです。

 私は今76歳。過ぎ去ってみれば人生は短いと思います。でも残りの人生があります。どれくらいの長坂は分かりません。老いの日々は単調です。特にコロナ禍、自粛生活が続きます。いつまで続くのかと考えます。人生は短くはかないとは思いません。イエス・キリストを信じたおかげで人生は空しいともはかないとも思いません。充実した人生を与えられたと思っています。そして今、単調な日々を過ごしていますが、この詩篇を思い巡らしながら、思ったことは老人の特権です。

 老人の特権、それは死を越える希望を聖書を読みながら黙想することです。若い時は今生きることに集中します。老いてこそ、死を越える希望を聖書を通して確かにする喜び、幸いがあるように思います。この詩篇を思い巡らす中で与えられた思いです。聖書には、死を越える希望を語る言葉が幾つもあります。一番の楽しみはこれです。

コリント一 13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

神を見る楽しみです。

馬見丘陵公園梅林