クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私にとっての主イエス(8)死んだらイエス様のもとに

 人は死んだらどこへ行くのでしょうか。今日、亡くなった知人の葬儀説教を読んだのですが、そこには「天に帰られた」とありました。私は、死後のことについては、聖書から具体的なイメージを描くことが、私たちに平安を与えるのではないかと考えています。そこで死んだらどこへ行くのか、です。私は自分が死んだら、イエス様のもとに行くというイメージを持つことにしました。

 十字架の上でイエス様は、共に十字架につけられた一人の死刑囚にこうおっしゃいました。

「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)。

 楽園がどこにあるのか、楽園とは何か、それは分かりませんが、そこにイエスがおられること、そして「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」との約束が与えられています。

 次はィリピの信徒への手紙です。

 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です(1章21~24節)。

 パウロは、今、「この世を去って、キリストと共にいたい」と熱望しています。この世を去ると私たちはキリストと共にいることになるとパウロは述べています。

今ひとつはコリントの手紙二です。

それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい(5章6~8節)。

  体を離れて、主のもとに住む、とあります。以上、死んだらイエス様のもとに行くことを語る聖書です。

 

*隠退牧師holalaの説教に、新しい説教の録音を追加しました。

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散歩道にて ススキ