一昨日の奈良高畑教会の礼拝で、説教題は「イエスは、真の神、真の人」でした。今説教で使徒信条を取り上げています。マリアが聖霊により身ごもったと書くルカ福音書をテキストにしています。週報で次週の説教についての予告がありますので、日曜日の朝、教会に歩いて行く道すがら、ハイデルベルク信仰問答風に「イエスが真の神、真の人であることはあなたにどのような慰め(益)をもたらしますか」という問いを自分に投げました。私は自分の心に答えを求めました。
「イエスは真の神にして真の人」という文言は、ニケア信条という古代の信仰告白にある文言です。イエスは神にして人。キリスト教の異端は、イエスが神であることを否定するか、人であることを否定します。キリストの教会は、イエスが真の神であり、同時に真の人であると信じてきました。私はもちろん、この告白に同意します。
私は自分の心に問いました。
イエスは神として、神の言葉を語りました。人々はイエスの教えを聞いて、イエスが権威ある者のように語ったことに驚きました。イエスは神の言葉を語りました。イエスは人として、徹底して父なる神に従順に歩みました。人としてのイエスは、私にとっては模範です。そして神としてイエスが語る言葉は、私の拠り所となる真理の言葉です。
この世に本当に信頼できる言葉がどこにあるのか、私は探しました。偉大な人間の言葉が人々に影響を与え、人々を導き、世の中を変えることもありました。時間の流れと共にそのような人間の言葉は忘れ去られていくことがあります。時を超え、真理として信じるに足る確かな言葉を私は求めていました。
イエスとの出会い、それは求めていた確かな言葉との出会いでした。「イエスが真の神、真の人であることはあなたにどのような慰め(益)をもたらしますか」の問いに対する答えは、確かな真理の言葉を受け取ることができ、迷いなく生きることができるようになった、それが私の答えでした。
今の私にとって、大切な聖句はいくつもありますが、ベストスリーを上げるとするなら次の聖句です。
ヨハネ 11:25
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」。
ペトロ一1:24~25
「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」。
ヨハネ 14:6
「わたしは道であり、真理であり、命である」。