クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神を疑う人そして信じる人 私 (続き2)

 年をとったキリスト者として大きな課題は、終末の到来を信じることです。死を越える希望がそこにあるからです。でもこの世界に終わりの時が来るなんて信じがたいことです。しかし、終末を信じることは、クリスチャンの歩みを整えることになると私は信じています。だから私は終末を信じることができるようになったと言えます。

 聖書は、終末の時に何が起きるかを語っています。エフェソの信徒への手紙には、天にあるもの、地にあるもの、すべてがキリストにあって一つになると書かれています。

エフェソ 1:10
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

 エフェソ書にはキリストの働きとして、敵意という隔ての壁を取り壊すことを教えています。

エフェソ 2:14~15
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、

 イスラエル人あるいはユダヤ人は神の民として神に選ばれた民族でした。ユダヤ人以外の民は異邦人と呼ばれ、神の教えを守らない汚れた者として、ユダヤ人は異邦人を軽蔑していました。しかしユダヤ人は救い主としておいでになったイエスを信じることをせず、十字架の死に追いやりました。やがて異邦人にキリストを宣べ伝えるキリスト者をユダヤ人が迫害するということも起きました。

 異邦人の間にキリストの救いが広まり、その後、ユダヤ人の間にもキリストを信じる信仰が広がり、ユダヤ人、異邦人がキリスト信仰において一つになる日が到来すると聖書は教えています。

 私たちが今生きている世界は、分断と争いの世界です。ウクライナ、ガザ、イラン。平和はなかなか訪れません。平和が訪れるようにとのキリスト者の祈りは、なかなか聞き届けられず、平和のために祈ることの空しさを感じる人も多いのではないでしょうか。争いが起きるのは、人間の罪があるからです。自己中心の罪。神を畏れぬ罪。

 キリストにあって一つになるという神の計画。歴史の中で神の計画は進行していると信じます。でも人間の世界の現実は、一つになる方向に向かっているとは思えません。神の計画なんて絵空事だという人もいると思います。でも、神の計画が確かであるから、忍耐強く平和を求める祈りを続けることができるのではないかと考えます。

 復活の朝に目覚めて、キリストにあってすべてのものが一つとされている光景ってどんなものなのでしょうか。それを見るのは楽しみです。

アジサイ 萬葉植物園