ウクライナへのロシアの軍事侵攻を覚えて、私たちは祈っています。事態の推移と共により深刻な状況が伝えられてきます。ロシア軍による非人道的なウクライナ市民虐殺について報じられています。さらにはロシア軍による化学兵器の使用が取り沙汰されています。一刻も早い停戦と平和の到来を神さまに祈っていますが、神さまの歴史的介入により停戦が導かれる気配はありません。神さまはどう思っておられるのかと思案します。
聖書を読む者として知るべきことがあると思います。真の平和は、イエス・キリストによらなければ実現しないということです。
エフェソの信徒への手紙2章14~16節
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
当時の教会にユダヤ人と異邦人(ユダヤ人以外の民)が一つとなって神を礼拝し、信仰生活をしていました。教会の外では、ユダヤ人は異邦人を神を知らず神の掟(律法)を守らない罪人と軽蔑し、異邦人との関わりを持つことを避けていました。そんなユダヤ人に対して異邦人はよい感情を持つわけがなく、隔ての中垣がありました。しかし教会の中で、ユダヤ人と異邦人が一つとなって礼拝し、信仰生活を送っていることは驚異的な事実でした。
現在イスラエルにおいてパレスチナとイスラエルの間に物理的な隔ての壁ができています。アメリカとメキシコの国境にも隔ての壁が築かれています。人間のすることと言えば、隔てを造ることといえます。しかしイエス・キリストは敵意という隔ての中垣を取り除くことができるお方であると聖書は語ります。
それはどのようにしてでしょうか。人が神の前に罪を認め、神との和解がなされるとき、民族、宗教、文化、皮膚の色など人と人とを隔てるすべてのものが消えさり、平和が築かれると聖書は語ります。
現在、ロシアと西側諸国の間には隔ての中垣があります。どちらもそれぞれの主張をし、この敵意という隔ての中垣はますます強固になりつつあります。神さまの御心は、敵意という隔ての中垣が取り去られ、平和が生み出されることであることは確かです。これはそう簡単には実現しません。それゆえ、キリストを宣べ伝える教会の働きは大切です。これを忘れてはならないと思います。
そして今は、緊急事態というか異常な事態です。私たちは、一日も早い停戦を祈ります。しかしこの祈りがどんなに祈られても、停戦がすぐに実現するとは思えません。第二次世界大戦の時、ナチスはユダヤ人の大虐殺を行いました。この非人道的な大虐殺を神さまが止めようとしたとは思えません。連合国がドイツに勝利してこの虐殺は終わりました。
やはり今回もロシア対ウクライナの戦争の成り行きによって戦争が終わると思います。日本を含めた西側諸国はロシアに経済的制裁を行い、あるいはウクライナに軍事的支援、避難民の支援などさまざまな支援を行い、ウクライナを応援しています。どちらかが勝利するまで戦争は続くと予想します。これは私の個人的な予想です。
このような状況の中で、2,3思うことを書くことにします。
- 私たちキリスト者は、真の平和はイエス・キリストによらなければできないことを聖書から教えられており、キリストを宣べ伝える働きをいっそう真剣に行いたいと考えます。
- 私たちは祈ることを許されています。一日も早い停戦を祈ることは信仰者として自然のことですし、当然のことです。しかしすぐに祈りが聞かれて停戦に至ることを期待しすぎてはいけないと思います。うっかりすると神はなぜ祈りを聞いてくれないのかと神さまへの不信の思いが心の中にわいてきます。神さまは私たちの思い通りに動くお方ではなく、ご自身のご計画の中で動かれる方です。
- 祈りは多様です。豊かです。テレビで報道される色々な事態を見たときに、生まれてくる祈りがあるのではないかと考えます。そのような祈りを祈りたいと思います。
- たとえば
・外国に避難したウクライナの人たちのための祈り
・ウクライナの大統領のために祈り
・ロシアの市民に何が起きているのか、事実が伝わるようにとの祈り
・砲撃で住んでいる町が破壊され、住まいを失った人のための祈り
・家族、友人、知人をロシアの攻撃で失った人のための祈り