クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私は主を賛美する

 最近分かったことがあります。

 キリスト者が神をたたえること、賛美することは大切なことと教えられます。でも毎日よいことが起きるわけではないし、神をたたえるといっても何をどうたたえていいか分かりません。祈りにおいて神に感謝するとき、「あなたを賛美します」と添えて祈ればいいのでしょうか。

 詩編には、神をたたえる信仰者の言葉があります。

詩編 34:2
どのようなときも、わたしは主をたたえ
わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。

 どのようなときも?

詩編 146:2
命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。

 命のある限り、長らえる限り?

 これらの信仰者たちは何をもって神をたたえるのでしょうか。私が抱いてきた疑問です。でもこの人たちから逆に「あなたは神をたたえることをしないの」と質問されたらどうしよう?

 最近分かりました。何をたたえたらよいのか。主イエスを贖いの供え物として、私たちを救おうとされた神の愛をたたえればよいことを。

 ソ連のウクライナ侵攻。イスラエルのガザ攻撃。イスラエルの攻撃は自衛を遙かに超える攻撃です。国家の指導者が敵を攻撃し自分の目的を実現しようとし、人命を奪っています。誰にも他者の命を奪ってよい権利、権限などありません。人の命を奪うことは通常犯罪で罰せられます。でも戦争となったら正当化されます。殺害したと誇らしげに語る言葉を聞きます。間違っています。

 そして戦争はいつ終結し、平和が訪れるのか先が見えません。神よ、私たちは祈っています。あなたは何をしておられるのですか、と声を上げたくもなります。

 でも神は言われるのではないかと想像します。「わたしはイエスをキリストとして世に送った。キリストは敵意という隔ての中垣を壊し、平和をつくりだす。私は平和の道をすでにあなたたちに示した」と。

 神は平和の道筋を既につくってくださっています。このことのゆえに、いつも神をたたえたいと思いました。キリストの十字架の贖いのゆえに、私はいつも神をたたえるべきだと分かりました。その上で、平和を祈り求めたいと思います。

クスノキの実 馬見丘陵公園