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隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(49)愛するとは

 愛するとはどういうことなのでしょうか。聖書には神を愛すること、自分を愛するように隣人を愛することが神の戒めとして教えられています。愛する対象として、神、自分、隣人がいます。

 信仰の有無を問わず、人は自分を愛し、自分に親しい人を愛しています。信仰を持てば、神を愛するようにとの戒めを知ります。愛するとはどういうことなのでしょうか。聖書は互いに愛し合いなさいと教えます。

 そこで大切なことは、お互いがどんな関係にあるかを知ることです。親子関係、夫婦関係、神と信仰者の関係、自分との関係。関係が違うと愛し方が違ってきます。愛するとは、基本的に相手の存在、相手の人格を大切にして、相手と関わることと私は考えています。愛するとき、この関係を大切にします。この関係を大切にするから相手を愛します。

 聖書には、どのように愛するのかが教えられています。たとえば、夫婦の場合結婚式で読まれる聖書箇所があります。

エフェソ 5:21~29
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。

 夫が妻を愛する愛し方、妻が夫を愛する愛し方は、同じではありませんが、互いに仕え合うという共通点はあります。親子関係についても教えがあります。

エフェソ 6:1~3
子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。
父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。

 それではキリスト者は神にどう向き合うのでしょうか。これは詩編を読むとわかります。色々な表現が書かれています。たとえば詩編34。

主をたたえる、賛美を歌う。
主の御名を崇める
主に求める。主を仰ぎ見る。
主を畏れる。御許に身を寄せる。
主を畏れ敬う。主に従う。
主に助けを求める。
主を避け所とする。

申命記 6:5
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

 キリスト者は上に述べた神に対する関わりに全力を注ぐと聖書は教えています。

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