クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

A長老とBさんの対話(7)新しい人として生きるのがキリスト者

「A長老、先日は祈祷会のあとお話しありがとうございました。来週はイースタですね。主の復活は、私たちの人生は死で終わらないことを告げるので本当にうれしいです」

「そうですね。洗礼を受けキリストと結ばれたキリスト者は、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きると聖書に書かれています。私たちは新しい命に生き、新しい人として生きていくことになります」

「先日は、なぜ新しい人として生きなければならないのか、私の質問に答えてくださりありがとうございました。あの時A長老は、二つの理由があるとおっしゃいました。できたら今日、もう一つの理由を教えていただけるとうれしいです」

「そうでしたね。もう一つの理由、それは<私たちがキリスト者だから>です。そもそも新しい人として生きるのがキリスト者なんです。だからキリスト者である私たちは新しい人として生きる努力をするわけですね。」

「キリスト者とは新しい人、生まれ変わった人のことをいうと理解すればいいわけですね。」

「そうです。そこでBさん、キリストによる救いとは何だと思いますか」

「罪からの救いと教えられています。人は自分の人生で行ったことについて神の裁きを受けます。罪を犯す者は神の裁きを受けると教えられました。洗礼を受ければ罪の赦しを受け、最後の審判で救いに入れられ、永遠の命に生きると教えられています」

「そうですね。その通りです。ある時イエス様は質問を受けました。『律法の中で、どの掟が最も重要ですか』と。どう思いますか」

「どう思いますかと言われても、聖書には沢山の教え、掟が書かれていますよね」

「イエス様はまず、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である』と答えられました」

「最も重要な第一の掟ということは、第二の掟もあるということですか」

「はい。イエス様は『第二も、これと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい』と答えられました」

「第三の掟はあるのですか」

「第三の掟はありません。イエス様は神さまの掟を要約して神である主を愛することと隣人を愛することだと教えられたのです。神さまを愛し、隣人を愛して生きる、それが神の前に生きる人間の姿であると教えられたことになります」

「ふ~ん。そうなんですか。でもなんかいきなりレベルの高い話を聞かされているような気分です。信仰を持つ前、神を愛することや隣人を愛することなんて考えたことがありません」

「そうですよね。多くの人にとって自分の生活が大事です。自分の生活がうまく行き、幸せであること、それが一番大事ですよね」

「そうです」

「罪というと何か悪いことをすることと考えられています。聖書は、それ以上に、神さまの心、隣人の心を大切にしないことを罪と考えています。神さまを愛し隣人を愛することの反対ですね。そして神さまの心や隣人の心を考えない行動、つまり自分中心の行動も罪となります」

「でもそれが罪だと言われても実感できませんね。今まで生きてきたことがみな罪になってしまいそうです」

「そう、私たちはみな罪を犯して生きています。私たちが自分中心の行動をしていれば、夫婦の間で、家族の間で、職場において争いが起きたり、お互いのことをなかなか理解しないでいるので、人間関係がうまく行かなくなります。それは罪の結果なんです。パワハラ、セクハラ、差別などは相手の心を大切にしないところから生まれます」

「何となく分かるような気がします」

「人間が自分の罪を悟らされるのは神さまの導きなのです。イスラエルの王ダビデは、家来から『それはあなただ』と言われて自分の罪に気づきました。イエス様の弟子のペトロは鶏の鳴く声を聞いた時、自分の罪に気づかされました。自分の罪を悟らされる時、私たちは罪の赦しを求めることは勿論、罪からの自由を求めるようになります。つまり新しい人として生きることを願うようになります」

「ダビデは何をしたんですか」

「ダビデはイスラエルの王でした。しかしある時彼は美しい女性を見て心惹かれ、自分の所に呼び寄せ、彼女と関係を持ちました。姦淫の罪を犯しました。しばらくして子を宿したという知らせが彼女から届きました。彼女には夫がいました。彼は軍人でダビデの家来です。ダビデは、自分が犯した姦淫の罪を隠そうとして部下に命じて、彼女の夫を戦場で死なせるようにたくらみ、その通りになります。殺人の罪を犯しました。しばらくして家来のナータンがやってきて、ダビデにある話しをします。そしてダビデ、あなたこそその男だと指摘し、ダビデの犯した罪を指摘しました。そしてダビデは自分の罪を悟ったのです」

「ダビデは、信仰の篤い王だと聞いていましたが」

「権力を得ると人はおごり高ぶり、罪を犯すことがよくあります。自分の罪を悔い改めたダビデは神さまに『わたしのうちに清い心を創造してください』と祈りました」

「そうなんだ」

「自分の罪を気づかされたキリスト者は、新しい人として神さまを愛し、隣人を愛する努力をするようになります。神さまの御心を尊重し、隣人の心を大切にし、具体的に愛していきます。新約聖書には、神さまを愛し、隣人を愛するための具体的な教えが色々書かれています。ですから新しい人とされたキリスト者は聖書を読み、神さまの教えを実践して生きるようになります。別な言い方をすればイエス様に似た人になっていきます」

「なるほど」。神の国の住民にふさわしい人になっていくんですね」

「そうです。私たちはキリスト者だから、新しい人として生きていきます。そして新しい人として生きると私たちはキリストに似た者とされていきます。その結果、神の国の住民にふさわしい者とされていくわけです。キリスト者は神の国を目指して今を生きるのです」

 

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