クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(76)私の心の底にあるもの

 信仰に生きるとは、神との交わりに生きることであると知ります。神さまはイエス・キリストを世に遣わし、私たちを罪から救うわざを行いました。そこに私たちへの神の愛があることを知り、この神の愛への応答として神さまを愛して生きることが信仰に生きることと知ります。そして神を愛するとは、神の御心を大切にし、御心に従うことであり、神の戒めを守ることであると教えられます。あるいは神の言葉を真理と受けとめ、神の言葉によって生きる、それが信仰に生きることであり、神を愛することであると知ります。

 すると大きな問題点が自分の中にあることを私は知りました。具体的な行為として罪を犯すことは問題です。罪を犯した時には悔い改め神に赦しを求めます。悔い改めるとは、同じ罪を繰り返さないことを決意し、導きを神に祈り求めることと考えます。

 私の内にある問題点とは、自分を第一にする心が心の底にあるということです。普段聖書を読み、神さまの御心に耳を傾け、み心に沿う歩みをするように心がけていますが、御心よりも自分の思いを優先しようとする心があることです。これを消すことはできません。

 具体的に犯した罪については、悔い改め、その罪から清められ、罪の支配から抜け出て、神の恵みの下にあると信じて生きています。しかし神を愛することを意識し、神の御心に生きることを意識するにつれ、御心よりも自分の思いを優先しようとする心があることに気づきます。気づく都度、自分の心を御心に向けます。このゆえに、私は自分が罪深い人間であると知ります。罪を繰り返し犯すから罪深いというより、神を差し置いて自分を優先する心があるゆえに、私は自分を罪深いと考えます。この心があるから、時に罪を犯します。

 しかし私はイエス・キリストを信じ、神の子とされたことを信じます。神さまは私を愛し私を神の子として取り扱ってくださるので、私は神の子として生きることを心がけます。私のアイデンティティーは神の子であり、罪人でもなく、罪深い者でもありません。事実としては罪深い者です。信仰において私は神の子です。私は自分が神の子とされていると信じて、このことを大切にして神の子として生きていきます。

私が作った今朝の味噌汁