クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

限りある人生

 世の人たちは、人間は生物として誕生し、死ぬということは自然のことと理解します。自分が死ぬことを多くの人は、あきらめをもって受けとめているのではないでしょうか。自分の死は、自然の摂理、自然の宿命として受け入れざるを得ないのです。そのように考える自分がいます。

 この世に生を受ける、それは喜ばしいことですが、自分の命に終わりがあることを知るのは悲しいことです。永遠に生きたいと思うなら、そうさせてあげるよと言われたらどうでしょうか。永遠に生きる、これもまた大変なことです。人生を共にした人が亡くなっていくのに、自分は生きているのです。親しい人と分かれ、知らない人と関係をつくっていくのは大変なことだと思います。そんなことが繰り返されても喜びはありません。

 でも老いていくと生きることに疲れて死んでもいいと思うのは、摂理なのでしょうか。

 そこで信仰者としての自分は、死をどう受けとめるか、課題となります。キリスト者の希望は何か、です。あるいは限りある人生をどう受けとめるかです。さらに言えば、神はなぜ、私たちに限りある人生を与えられたのか、です。キリスト者には神の国の希望があります。それが真の希望になっているのかどうか、問われるのが老いの時期のように感じています。

春近し 梅 馬見丘陵公園