クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老いの中にある平安

 マルコ福音書で、イエス様が漁師たちに呼びかけた箇所を読みました。

「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」(1:17)。

 これを読んで疑問を持つ人がいると思います。見知らない人から突然「わたしについてきなさい」と言われ、「人間をとる漁師にしよう」と言われるのです。網を捨てて、二人の漁師はイエスについて行きました。なぜそんなことができるの、と疑問を持つと思います。この出来事の本質は何か、と考えました。イエスの呼びかけに答える、それが信仰とこの箇所は語っているように思いました。

 それで「わたしについてきなさい」とのイエス様の呼びかけを私への呼びかけと受けとめることにしました。「人間をとる漁師にしよう」とは、伝道する人と考えることができます。つまりイエス様を証しする人にしようとのお言葉と考えることができます。

 イエス様が呼びかけたのは二人の漁師。イエス様は特別な人に呼びかけるのではなく、世の中のどこにでもいる普通の人に呼びかける方だと思います。わたしにもあなたにも呼びかける方です。

 では、老いの中にある私に対して、証しする者としてイエス様について行くとしたら、私は何をしたらよいのかと思いめぐらしました。イエス様は私が何をすることを期待されるのかと思いめぐらしました。二つのことを考えました。

 今、私は夫婦二人で生活しています。お互いに年をとりました。互いに思いやりを持ち、お互いの欠けについては寛容になり、家事の負担も分かち合うようにすることが大事だと思いました。

 今ひとつは老いの中にある者として、聖書から与えられる希望を証ししていくこと、それが大切だと思いました。老いの中にある人が聖書によってどのように支えられ、励まされ、慰められて希望をもって生きているのか、そのことを伝えたいと思いました。

 そこで思い出したのはイザヤ書の言葉。 

46:3~4
あなたたちは生まれた時から負われ
胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。 

  これを読んで、「老いる日まで」「白髪になるまで」背負ってくださるのはありがたい。では老いたら、白髪になったら、どうなるの?背負うのはやめるの?と思う人がいるかもしれません。私自身は「白髪になっても」「老いても」背負ってくださると解釈します。 

 書店に行くと「老いをどう生きるか」という本が何冊も並んでいます。信仰がなくても老いを真剣に生きようとする人たちがおられます。私は信仰によって老いを生きようと思います。私は聖書に教えられて、老いの時期は何が起きても大丈夫と考えます。色んな事が起きるでしょう、それにもかかわらず私の心は大丈夫。信仰から来る平安です。 

f:id:holala:20210610202702j:plain

何の花? きれい 散歩道