クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

エフェソ書 霊の剣、すなわち神の言葉

 エフェソ書の最後の段落は、信仰者の敵、神の敵である悪魔に対して神の武具を身につけて対抗しなさいと勧める言葉で始まっています。

エフェソ 6:10
最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

 力強い言葉です。うれしい言葉です。自分の弱さにこだわる必要のないことを教えられます。

エフェソ 6:13
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

 邪悪な日に、つまり試練の時、困難の時、逆境の時、神の武具を身につけなさいと勧められます。神の武具には色々ありますが、攻撃の武具は霊の剣だけです。悪魔は信仰者を誘惑し、あるいは恐れや不安を与えて信仰者を萎縮させ、信仰から離れさせようとします。キリスト者を神から離れさせ、信仰から離れるように悪魔は攻撃してきますが、霊の剣、即ち神の言葉を取りなさいと聖書は勧めています。

エフェソ 6:17
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

 私の好きな聖句です。霊の剣、即ち神の言葉。信仰者の力、それはその人の抱く信念の強さではないと思います。私は自分の信念の強さなんて大したことがないことを知っています。キリスト者の武器は、霊の剣、聖書の言葉こそ、信仰者の武器ですと教えられます。私は聖書に親しみ、色んな聖句が、私の武器となりました。

 イエスも荒野の誘惑で悪魔の誘惑を受けましたが、聖書の言葉をもってそれを退けました。

マタイ 4:4
イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある」。

 神の言葉に立ち、これに信頼するには、神ご自身に対する信頼が必要です。その信頼はどこから生まれるかといえば、イエス・キリストの父なる神は、御子を犠牲にしても罪を犯す人間を救おうとする神であると信じることです。私は罪を犯す者ですが、神は私の罪を赦し、私を義とし、私を神の子と認めてくださり、私を愛し、生かしてくださる神です。人間に対する神の愛、神の憐れみをを信じる時、神の言葉に対する信頼が生まれます。神の言葉以上に頼りになる確かなものは何もない、それが私の確信です。

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