私たちが信仰者として歩もうとすれば、私たちの心は信仰の戦いの戦場になるのではないかと思います。つまり心の中には色んな思いや感情が湧いてきて、信仰者として生きようとすると心の葛藤、戦いが生じます。思わぬ感情が湧いてきて振り回されることもあります。そして思わぬ行動をして他者を言葉や行いで傷つけることがあります。そしてそんな自分を責めたり、自分を罪深いものと卑下したりすることもあります。誘惑も頻繁に襲ってきます。これと戦う必要もあります。
私たちは信仰者なので、神の前に罪は犯さないようにしようと考え努力します。すると神に従うことへ抵抗する思いや、感情も湧いてくることもあります。み心に従えない自分を責めたり情けなく思ったり、自分の頑なさや弱さを覚えることもあります。
聖書を読み、神様の御心を知るにつれ、また御心に従いたいと思うにつれ、それに逆らう心があることも知ります。
いずれにせよ「私」は何らかの結論を出して行動します。「私」がどんな結論を出すのか、その「私」を観察する「私」もいます。「私」は人格を持っています。「私」は自分の心を観察することができるし、何らかの選択をし行動します。その行動は「私」の責任においてなされます。たとい衝動に駆られても、激情に振り回されても、行動の責任は「私」にあります。
心はいつも戦場である「私」にキリストの福音が届きます。