クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

晩年とは死と向き合う年

 息子の家で休んでいる時、暮らしの手帖82号を読んでいた時、我が意を得たりと思える文章に出会いました。それは細谷亮太氏(聖路加国際病院小児科医師)の文章です。彼は松田道雄(小児科医、育児の本で有名)の文を引用します。

晩年とは死と向き合う年である。それは本人の心がまえにかんするもので、生理的年齢とは無関係である」。

私も引退をきっかけに死と向き合うようになってきたので、晩年を生きていることになります。私と似た年代の細谷氏は言うのです。

そしてもうじき七十年が過ぎます。団塊の世代も、男性はあと十年余りで平均寿命に行きついてしまいます。「死を忘れよう」とする風潮の時代にあえて異論を唱え、これからの日本人が「深く生きた」と大満足して死ねることができるようにするのも、私たちの役割なのかも知れないと考えています」。

自分の死を意識し、晩年を生きることが団塊の世代の生きる意味だというのです。そして私なりに言えば、

信仰者が、「満ち足りて死んだ」と言えるようになるために、何かできれば

と私はこれからの人生の目標を考えています。機会があれば説教をしたいと考えています。聖書の中で、アブラハムとイサクは満ち足りて死んだ、と書かれています。

アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた(創世記25:8)。

イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた(創世記35:29)。