クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(32)信仰義認(3)

ローマ 3:21~22
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

 神さまがイエス・キリストを信じる者を義と認める、正しい者と見なす、これが信仰義認の教えです。これは白を黒、黒を白とする教えではありません。確かに罪を犯し、罪深いと考える人を義とするのですから、白を黒とするように見えるかもしれません。しかし大切なことは「信仰」「信じる」ことなのです。信じるとは何を信じることなのでしょうか。

 なぜでしょうか。聖書にはある人たちを神さまは義と認めると書いてあります。神さまは、どのような人たちを正しい人と考えるのでしょうか。神さまの律法を完璧に守る人でしょうか。そうではありません。神さまは、神の言葉を信じ、信頼し、神の言葉によって生きる人を正しい人と呼んでいます。

ローマ 4:1~3
では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

 神さまはアブラハムにあなたの子孫を大いなる国民にすると約束されました(創世記12:3)。アブラハムが75歳の時のことです。しかも彼には子はいません。妻のサライは65歳です。事実的に考えれば、彼ら夫婦に子どもが授かる可能性は限りなくゼロに近いです。しかしアブラハムは信じました。

 何年かしてなかなか子どもが授からず、アブラハムはもう授からないと考えてしまいました。しかしその時神はアブラハムに現れ、言いました。

創世記 15:5~6
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」。そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる」。アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

 アブラハムは神の言葉を信じたのです。その彼を神さまは義としました。神さまは、神の言葉を信じる人を義とすることが分かります。そして神の言葉は、アブラハムが100歳の時に実現に向かいます。アブラハムに子が授かったのです。

 神の言葉を信じる人を神さまは義と認めます。キリストの十字架は神のご計画の実現です。ですから神さまがイエス・キリストを信じる人を義とするのは、当然のことです。

 神さまの戒めを守ることにおいて失敗する人でも、神さまの言葉を信じる人は神の目に、義なる人、正しい人なのです。神の言葉を信じ、神の言葉によって生きようとするなら、神さまはその人を義と認めてくださいます。

 アブラハムは自分の事実を知っています。彼ら夫婦は年を取りすぎて子どもが授かる可能性はゼロです。これが事実です。しかしその事実を認めつつ、なお神さまの言葉をアブラハムは信じたのです。そして神の言葉は実現したのです。

 キリスト者は事実を大切にしますが、事実に基づいて生きるのではなく、信仰によって生きます。信じる者を義とするのは、神さまの側からすれば当然のことなのです。

 神さまの言葉を信じる、これが聖書が伝える信仰で大切なことです。

2009 霧ヶ峰