長女の夫が牧会している教会の教会報が送られてきました。なかなか充実した内容でうれしく感じました。その中に目に留まる文章がありました。それは宗教改革者のマルチン・ルターの文章です。
「人は生きているあいだに、死の想念についての訓練をなし、死がいまだ遠くにあり、さし迫ってこないうちにこれをわが前に呼び出して眺めるべきである」。
これを読んで、私は訓練どころか、いつも死を考えて生きてきたな、と思いました。私のような人間がどれほどいるのか分かりませんが、少数派であると思っていました。でもルターの文章を読んで、私は人間として健康的な努力をしてきたんだと思いました。
死と向き合う中でいかに生きるかを考え、さらに信仰に導かれました。自分の思いをこえて福音を宣べ伝える者にされました。神さまに生かされてきたことをあらためて思いました。そして老いを生きるとは、死に備えることでもあると自覚しながら今を生きています。
出典について調べたら、これは彼の『死への準備についての説教』の中の言葉でした。以前読んだことがありましたが、先の引用文は読み過ごしていました。また読み返し始めました。最初の部分だけ紹介します。
ルターは、死への準備としてまず3つのことを掲げています。
- 私たちは世を去ることになるので財産の相続で遺族のあいだに争いが起こらないように処置をしておくべきだと教えています。
- 次に自分を傷つけてきた人たちを赦し、自分が人を傷つけてきたことについては、赦しを求め、霊的な重荷を精算しておくように教えます。
- そしてその後は、神のみを目あてとして生きるべきことを教えます。死に臨んだ時には、人が母の狭い胎内から産道を経て広いこの世に生まれ出るように、死後なお大きな世界と喜びがあることを知っていなければならないと書いています。