クリスチャンのアイデンティティーについて書いてきました。他にもアイデンティティーはあると思います。たとえば「キリストの体(教会)の部分(メンバー)」。これまで信仰者の個人的な面のアイデンティティーを紹介してきました。
- 罪から解放された者
- 新しく生まれた者
- 神の前で正しい人
- 聖霊を内に宿す人
- 神の子
- 新しい命を持つ者
- 聖なる者
- 神のもの
これらはクリスチャンの色々な側面を述べたものです。たとえば、クリスチャンは新しい命を与えられ、新しく生まれた者とされ、神の子と呼ばれます。新しい命を与えられるとは、聖霊が内に宿ることといえます。
あるいは、罪を赦され正しい者とされ、罪から解放されて生きる者とされました。 そして世の人々から区別され、神のものとされ、神との交わりに生きる者とされました。
このアイデンティティーに生きる時、このようなアイデンティティーを持つ者として生きることを考えるときに、大切なことがあります。それはイエス様の次の言葉にあります。
マタイ4:4
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」。
神の言葉こそ、クリスチャンを支え、生かします。神の言葉はアイデンティティーに密接に結びついています。
- クリスチャンは神の子なので、父なる神の言葉に従って歩みます。
- クリスチャンは新しく生まれた者であり、その結果、神の言葉によって生きることを始めます。神の言葉によって生きる、そこに新しく生まれた者としてのクリスチャンの姿があります。
- クリスチャンの内に聖霊がおられ、聖霊の導きにより、クリスチャンは聖書の言葉を神の言葉と信じ、神の言葉によって歩みます。
- クリスチャンは、神の言葉によって歩みます。しかし時に神の言葉に反抗したり背いたりします。神の言葉に従うことをないがしろにします。つまりクリスチャンも罪を犯します。しかし神さまに赦しを求めるなら、神さまは赦しを与え罪を咎めることはありません。神の言葉によって歩む中で、罪から解放されていきます。
クリスチャンとしてどのように生きるか、それは各人の自由です。アイデンティティーなんか考えずにクリスチャンとして生きている人もいます。クリスチャンとしてどのように生きるか、それはその人の自由です。しかしその歩みがクリスチャンとしてふさわしい歩みかどうかは、それぞれが自己吟味すべきです。
アイデンティティーを理解し、これを受け入れ、アイデンティティーに生きることは神さまの御心にかなうことであり、聖霊の実(愛、喜び、平安、・・・)を結んで生きることにつながると私は信じています。「私は罪深い者」という誤ったアイデンティティーからも解放されます。