クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神を愛するようになる(4)

(クリスチャンの成長(72)キリストに結ばれて- 30)

 神を愛するようになった第三番目のきっかけは信仰者の成長を考えたからです。

 信仰者の成長を考えるとき、信仰が重要になります。つまりキリスト者のアイデンティティーを信じることが大切となります。キリスト者は、神の子であり、新しく生まれた者であり、その人のうちに聖霊が住んでくださると聖書に書かれています。神さまは洗礼を受けた私たちをこのようなキリスト者にしてくださったのです。これは実感できることではなく、信じることです。

 そしてこのアイデンティティーを喜ぶことが実は信仰者の成長の出発点となります。ですからキリスト者のアイデンティティーを語る聖書の箇所を読んで、このアイデンティティーを喜ぶようになるといいと思います。喜びがあれば、このアイデンティティーに生きていこうとの思いに導かれます。

 もしこのアイデンティティーを信じないで信仰者の成長を目指そうとすると自分の力で努力し、結局は挫折します。神さまは恵みとしてキリスト者にこのアイデンティティーをプレゼントしてくださったのです。信じて生きていくと段々とこのアイデンティティーを実感できるようになります。

 繰り返します。神の恵みとして、自分は神の子とされ新しく生まれた者であり、聖霊がうちに住んでくださっていると信じ、これを喜びます。これを喜ぶことなくしてクリスチャンとしての成長はむずかしいと私は考えています。時間をかけてもいいので、聖書を読み、キリスト者のアイデンティティーを喜ぶ人になることが大事だと思います。私も時間をかけました。

 キリスト者の成長を考えるとき、もう一つ大切なことがあります。それは「すでに」と「いまだ」ということです。キリスト者はキリストに結ばれ、「すでに」神の子とされています。神さまはキリスト者のことを「神の子」とご覧になります。これを信じ喜びます。そして神の子として生きていきます。

 キリスト者は神の子と呼ばれますが、まだその実質が伴っていません。私たちが自分を見るならば、こんな私が神の子と呼ばれていいの?、と思うかもしれません。「いまだ」私たちは、だれが見ても神の子と思われる存在にはなっていません。つまり私たちは神の子として成長し、神の子としての実質を高めていきます。神の子らしくなっていきます。これがキリスト者の歩みであり、キリスト者の成長です。「すでに」と「いまだ」の間を生きるのです。

 私たちは神の国に迎えられるとき、完全な神の子に変えられます。キリストに似た者にされます。この世にあって私たちは神の子とされて、神の子として歩みます。神の子として成長します。どんなに成長したとしても、神の子としてはまだ不完全です。神の国に迎えられて完全な神の子とされます。

 そして大事なことはどこまで成長したかではなく、成長し続けるということです。大切なことは達成することではなく持続することです。自分と他者を比較すれば、神の子としての成長に違いがあるでしょう。他者と比較する必要はありません。自分は自分らしく、神の子として歩み続ければよいと私は考えます。天の父を愛して生きていけばいいのです。

 イエス様はタラントのたとえを話されました(マタイ25章)。そこで問題とされたことは、どれだけ稼いだかではなく、自分に与えられたタラントを忠実に用いたかどうかです。自分が与えられたタラントを生かすことが大切だったのです。神の子として、父なる神さまを愛して生きていく、その努力が大事なのです。神の子というアイデンティティーを喜ぶなら、おのずと努力が生まれます。

f:id:holala:20201111211541j:plain

神の使いとのアイデンティティーに生きる鹿。自由に振る舞っている。