朝のルーティン(決まってすること、朝食の用意と後片付け)を終え、聖書を読みデボーションをしていると、心の中が澄みきったような平安に満たされていることに気づきました。コリント一9章24節以下を読み、思いめぐらしていました。キリスト者は賞を目指して走るものだとパウロは語ります。信仰者が走る競技はマラソンのように長距離です。人生は長いからです。
現実のマラソン競技は、現在では整えられた道路を走ります。しかし信仰者の走るマラソンには、障害物競争のように色々な障害が現れては消えます。人生初の入院、初の手術。これは私の人生の一つの障害物にたとえられます。
パウロは、賞を目指して走りなさいと書きます。朽ちない冠を得るためには節制すると書き、またやみくもに走らず自分の体を打ちたたいて服従させますとも書いています。私たちの心には肉の思いという人間的な思いが湧いてきて、私たちを悩ませます。不安や恐れはまさに人間的な肉の思いです。肉の思いに打ち勝つのは信仰です。自分の体を打ちたたくとは、肉の思いとの戦いに勝利することだと思います。徹底して神さまにゆだねるところに勝利があります。
私は手術のために祈ってきましたし、私のために祈ってくださる方がおられて心強いです。さらに気づかされたことがありました。昨日受診した医師が手術をしてくださいます。この医師は私の病気が治ることを願って手術をされること、私のために全力を尽くしてくださるのだと考えたとき、うれしくなりました。手術中は執刀医師に感謝しつつ手術の無事を祈ればよいと思いました。
今回の手術に際し、すべてが整えられていることを知り、神さまにすべてをゆだねればよいと受けとめることができて平安が与えられました。澄みきったような平安なので、神さまが与えてくださった平安と感謝でした。手術の日も決まり、私の心も定まりました。