今日奈良市立病院で受診し、来週19日に手術を受けることになりました。人生初の入院、初の手術です。不安が生じてきます。不安が湧いてこないようにすることはできません。湧いてきた後どうするかが大切だと思います。私は信仰者なので、神様に祈ることにしています。
あらためて神様に祈ることができることは感謝なことだと思いました。こうしてブログで手術のことを書いたので、何人かの方から祈っていますと連絡を受けました。自分が多くの人の執り成しの祈りに支えられていることはありがたく、励まされ、感謝です。
「その時は必ず来る」ということもあらためて思います。手術の日を決定する「受診日」が来ました。来週「手術の日」が来ます。そしていつの日か「世を去る日」が来ます。この日は未定ですが、その時は必ず来ます。あらためて「その時が来る」ということを思わされた最近です。
老いを生きる信仰者として、いかに自分の死に備えるかは課題だと受けとめています。今回手術をしたら約一週間で退院できるそうなので、その時を楽しみにすることにしました。キリスト者には死後の楽しみもあります。私は復活し、キリストの栄光あるからだと同じ形に変えられることを楽しみにしています。
「来るべき時を迎える」ことについてあらためて気づいたことは出産経験のある女性は、来るべき出産の時を病院で経験しているということです。出産には強い痛みが伴うようですし、出産は命がけです。私は4人の子を授かったので、妻は4回必ず来る出産の時を病院で迎えたことになります。病院でその時を迎えることは妻は経験済みなのです。不安に思う私の気持ちを妻は理解し、支えてくれているのだと思いました。
自分は迂闊な人間だと思わされたこともありました。私を診察し執刀される医師には「人を助けたい」との思いがあることを思いました。この思いに支えられて手術を受けることも感謝なことであると気づき、励ましを受けました。