4.心の支え
「心の支えがほしいです」。あるお年寄りの言葉です。年をとり、自分の力の衰えを感じる中での言葉です。
親しい家族、自分を愛してくれる家族が、まず心の支えになると思います。十字の園では、家族が訪ねてくれるのを楽しみに待っている方が多いです。でも家族はそれぞれ自分の生活があるので、頻繁に訪ねることができない事情があります。でも家族はお年寄りにとって、目に見える心の支えです。
先日、あるお年寄りを病院に見舞いましたが、病院生活について伺ったとき、「言葉の荒いのが辛い」とおっしゃっておられました。看護婦さんの口の聞き方、言葉づかいが、人をいたわるようなものではなかったということです。若い人たちの言葉づかいが問題にされます。電車に乗ったとき、前に座っていた高校生の言葉づかいを聞いて驚いたこともあります。ちょっとした言葉づかいが人を励まし、いたわると同時に、人を傷つけ、孤独の中に追いやりもします。思いやりのある言葉をかけられることも大きな心の支えとなります。福祉施設あるいは病院など、お世話を受けなければならない状態にある人は、自分に対する人の言葉づかいによって、心が乱されたり、平安を与えられたりします。
今述べた心の支えは、人間的なものであり、自分ではどうにもならない面があります。家族が来て欲しいと思っても、家族が遠いところに住んでいたり、子供の数が少なければ、家族の訪問は自ずと少なくなりますし、訪問するように命令することもできません。言葉づかいの荒さは時代の風潮と無関係ではありませんし、あきらめざるを得ない状況かもしれません。
私たちの心の支えは、他にもあります。
「私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから」(詩篇121)。
聖書は天地を造られ、人間を造られた創造主なる神、そしてイエス・キリストを通して、私たちを救って下さる神の存在を伝えています。
「あなたたちは生まれたときから負われ、胎を出たときから担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで白髪になるまで背負っていこう。私はあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ書46章)。
聖書は、信じる者すべてに対して神様が、私たちの支えとなって下さることを約束しています。神様ご自身が約束して下さっています。私自身はまだ老いてはいません。しかし人生のマラソンの折り返し地点をすでに過ぎました。私は神を信じる者として、神に喜ばれる歩みを志しています。そして神様は、私を守り導いて下さいます。昨日まで、そして今日も私の心を支えて下さるので、明日も大丈夫と望みをもっています。
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