クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の前に正しい者

「洗礼を受けて半年、クリスチャンになった気持ちはどう?」
「礼拝に出て説教を聞き、クリスチャンの生き方など聞いたり、信じるべきことを聞いて、少々複雑かも」
「どういうこと」
「クリスチャンってなんか立派な人間でなくてはならないみたいだし、ちょっとついていけないかなって思ったりするわ」
「そうね。私も最初そうだったわ。でもね聖書にこう書いてあるのよ」

ローマ3:24
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

「どういうこと?」
「私たちクリスチャンは、イエス様のおかげで、神の前に正しい者になった、というのよ」。
「わたしも?」
「そう、あなたも、わたしも」
「私が、神の前に正しい人だなんて、とんでもない。罪を犯している私を正しい者と見なすなんて、それは神さまはおかしいわ」
「聖書にね、こう書いてあるわ」

フィリピ3:9
わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。

 「どういうこと?」
「私たちが神さまの教えを守ったから、神さまは私たちのことを正しい者と見るのではない。イエス・キリストを信じるから、正しい者と見てくださるというのよ」。
「ふ~ん」
「神さまが私たちのことを正しい者と認められるのは、私たちの生きかた、行動を神さまが立派だと認めるからではないの。私たちは神さまの教えを完全に守ることはできないし、神さまの教えに逆らうこともあるし、私たちが正しい者と認められる理由、根拠は、私たちのうちには何もないのよ」。
「それはそうよね」
「神さまが私たちを正しい者と見てくださるのは、恵みなのよ」。
「私たちを正しい者と見る、それはいいけど、でも嘘っぽいわ。イエス様を信じ、私たちの罪が赦されているというのは分かるし、信じているわ。でも私が正しい者というのはどうなのかな。時々私は罪を犯すし」。
「そうね。でもね、神さまには神さまの思い、神さまのご計画があるのよ」
「何、それ」
「それはね。神さまは私たちと関わりを持ちたいと願っているのよ。神さまはね、『私はあなたの神になりたい』とおっしゃるのよ。『私はあなたの神となる、あなたは私を神として生きてほしい』とおっしゃるのよ」。
「ふ~ん。そうなの」
「でも、私を正しい者と見なすというのは、うれしいけど実態と違うわ」
「それはいいの。あなたが神さまに従う生活をすれば、だんだん正しい者になっていくから」。
「でも罪を犯さないという自信もないし、神さまの教えに従うという自信もないわ」。
「いいの、聖書を読んで行くうちに、あなたの考えも変わっていくわ」
「どんな風に?」
「神さまを喜び、神さまの教えを喜ぶようになるわ。私もそうだから」。
「そうなの、その辺の詳しいこと、今度聞かせて」

「今度ね」

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川津桜 馬見丘陵公園にて