クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の前に正しい者(続き)

「こんにちわ」
「こんにちわ」
「先日の、キリスト者は神さまの前に正しい者であるというお話し、聞かせてもらえませんか。私はどう考えても、すぐには受け入れられないんです」。
「分かるわ。ではこれはどう。あなたは神さまの目に価高く貴(とうと)い存在だというのは。神さまはあなたのことを宝のように大切だと言われるの。どうかしら」。
「これは本当ならすばらしいわね。でも私は平凡で取り柄もないし、価高く貴い存在と言われてもすぐには受け入れることはできないわ」。
「そうね。でも私は、神さまが私のことを価高く貴い存在と見てくださると信じているの。それは私の中に何かすばらしいものがあるからではないわ。私たち人間は、人間であるゆえに、神さまの目に価高く貴い存在なのよ」。
「世の中見れば、色んな人がいるわよ。犯罪を犯す人だって、自分勝手な人だっているし、そんな人も神さまは価高く貴い存在と見るの?」
「そうよ」。
「ふ~ん。それにしてもあなた神さまのことよく知っているのね。どうして神さまのことが分かるの」
「それは聖書があるから。聖書は神さまがどんなかたかを書いているから。私はそれを信じているの」。
「そうなの」
「神さまは、イエス様を信じる人はわたしの子だとおっしゃってくださるのよ。私たちイエス様を信じる者は神さまの子なのよ。イエス様も神さまのことをあなた方の父と弟子たちに教えられたわ」。
「神の子!? こんな私が」
「そうよ、すばらしいと思わない」。
「それはまあそうだけど」。
「私はね、神さまが私のことを神の子として扱ってくださることうれしいのよ。価高く貴い存在だっていってくださるのうれしいの」。
「それはまあそうだけど」。
「私たちってさ、人からどう思われるかって気にするでしょ。そして人からよく思われるようにって努力し、気を遣い、疲れない」。
「それはわかる」
「そればかりじゃないわ。私たちって自分で自分を評価するでしょ。私ってなんてすばらしい人間なんだろうと言う人は少ないと思う。多くの人は自分の欠点を知っていて、自分を好きになれないし、自分はこれでいいと認めることができないことが多いと思うわ。あなたは自分のことどう思っているの」
「人からほめられたことはあまりないし、自分はこれでいいとも思わない。魅力的な人間だとも思わないし、自分はこんな人間なんだと思い知らされて落ち込むこともあるわ」。
「人はね。自分がどんな人間か知らないの。欠点ばかり見て、自分を低く見たりするの。だから、神さまが私のことを価高く貴いと言ってくださるのならそれを受け入れるの。神さまがわたしのことをあなたはわたしの子、と言ってくださるなら、それを受け入れるの。すると本当に楽になるわ。人の目に映る自分ではなく、神さまの目に映る自分を信じるのよ。そうすると自分が自分であることがうれしくなるのよ。そして自分の長所を喜べるようになるのよ」。

「でも神さまの目に正しい者、というのはどういうこと」。
「それが本題ね。神さまが正しいと思う人はどんな人だと思う?」。
「それは、神さまの教えをきちんと守る人でしょう」。
「ところがね、聖書を読むとね、私は神さまの教えを守っていると誇っていた律法学者やファリサイ派の人たちをイエス様は偽善者と言っているのよ」。
「え、なぜ?」
「それはね、神さまはどんなお心で教えを与えられたのか。その神さまのお心を知ることが大切なのよ。モーセの十戒に『人を殺してはいけない』とあるわ。でもイエス様は殺さなければいいというものではない。人に向かって『バカ』というのは人を殺したに等しいと言われるの。人を嘲り、人の心を傷つける者は人を殺したに等しいとイエス様は教えるわけね。神さまは人間を本当に大切に考えてくださる方なの。このことを知らず、自分は人を殺していない、神の教えを守っていると誇るのは偽善者だとイエス様は言うのね」。
「それで神さまの前に正しい人というのはどんな人?」
「それは神さまのお心を大切にする人。そして神さまのお心に従おうとする人。それが正しい人だと聖書が教えていると私は思っているの」。
「へえー」。
「あなたは洗礼を受けて神さまを信じて生きることにしたでしょう。どう、神さまのお心に無関心で生きて行こうと思う?神さまってお祈りに答えてくれればそれでいいと思う?」
「私はね。神さまのお心大切にして生きていきたいの。神さまは私の心を大切にしてくださるの。だから私も神さまのお心を大切にして生きていきたいの。自分の心を大切にしてもらえば誰だってうれしいわ。でもね、私が神さまのお心を大切にするから、神さまは私のことを正しい者よ、と認めるのではないの。神さまはイエス様を信じたゆえに私を正しい者よと言ってくださるの。神さまはそう言ってくださるの。だから私はこのように私を見てくださる神さまのお心にこたえて生きていきたいわけ。だから、あなたはわたしの前に正しい者との神さまのお言葉をうれしく受けとめるの」。
「なるほど、そうなの。私もそう考えようかな」。

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馬見丘陵公園にて