創世記12:1
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
説教の準備で、この箇所を読みました。この神の呼びかけを受け、アブラハムは旅立ち、新しい信仰の歩みが始まりました。神が示す地がどこか分かりませんが、彼は旅立ちました。75歳という年齢でしたが、新たな人生を求めて旅立ちました。
このアブラハムを思うとき、自分はどうなのかと思いました。私は31歳の頃に洗礼を受けました。つまり信仰生活に入りました。信仰に生きるということがどこに向かうのか分かりませんでした。私もまた神が示す地に向かって旅立ったと言えるのではないかと思います。
私にとって「神が示す地」とは何だったのか。自分の人生を振り返るとき、二つのことを思います。
第一は、神の国を目指す人生を歩んできたということです。神が示す地とは、神の国でした。人生で色々なことがおきます。牧師としての生活の中でも思いがけないこともいろいろ起きました。信仰者として目の前の事態に対してどのように対応して生きるのか、神の国を目指すのにふさわしい者として生きることが課題であり、そのようにして神の国を目指すのにふさわしい者になること、その課題に生きてきたように思います。
第二は信仰者としての成長です。キリスト者とはどのような人なのか、聖書が伝えるキリスト者とは、どのような存在なのか。神が願うキリスト者とはどのような者なのか、聖書が伝えるキリスト者像を理解し、それを目指すこと、それもまた神が示す地であったと思います。私にとってそれはキリスト者のアイデンティティーに生きることでした。
私が信じるキリスト者のアイデンティティーとは
- 私は神の子である。
- 私は信仰によって義とされ、神の目に正しい者である。
- 私の内に聖霊なる神が住んでおられ、私は新しく生まれ変わった者である。
- 私は御言葉によって生きる新しい人間に創造された。
- 私はキリストのもの、神のものとされ、聖なる人にされた。
- 私はキリストに結ばれている。
- 私はキリストに結ばれ、キリストの体なる教会の一員とされている。
- 私は罪から解放された者である。