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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が伝える信仰の特徴

 聖書が伝える信仰って何だろう、どんな特徴があるのだろう。ずっと考えてきました。一つの結論は、神との交わりに生きる信仰、これが聖書が伝える信仰だと思っています。神との交わりに生きると言えば、伝わるのか、自信はありません。今のところ、これ以外の表現が浮かびません。

 聖書の神は、自分がいかなる方かを明らかにします。たとえば主なる神はアブラハムにこう語ります。

創世記 17:1
アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。・・・

 創世記12章で神はアブラハムに言います。

12:1~2
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いな
る国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

 これはアブラハムが75歳の時です。彼には子供はいません。もう老人です。常識的には子供が与えられ、子孫が増えることはありえません。それからさらに24年後、神はアブラハムに「わたしは全能の神である」と語ります。

 神に最初に声をかけられてから24年。子供は与えられず、しかも彼はもう99歳。この神の言葉は何を意味しているのでしょうか。アブラハムに子が与えられることを暗黙の内に示しています。

 神からすれば、アブラハムは神が全能であることを信じ、子を授かることを信じるべきです。しかしアブラハムは、心の中で、信じませんでした。このことを神は責めたりしませんでしたが、神がいかなる方かを知り、その神と向き合って生きる、その神と関わって生きることが信仰であることが分かります。

 それからしばらくして神はアブラハムに現れました。3人の人がアブラハムのもとを訪ねたのです。

18:10
彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。

 サラはこの言葉を聞いてひそかに笑いました。彼女も子が授かるなんて信じませんでした。すると主はアブラハムに言います。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている」。

 神はいかなる方なのか、それを知り、そのような方として神と向き合って生きる、神との交わりに生きるのが信仰であると教えられます。アブラハムは信仰とは何か、段々理解していきます。

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