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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が語る救いについて(6)教会に生きる(続き)

 前回に続いて、教会に属し、信仰に生きることが救いであることを具体的にお話しします。

 第一に信仰者は教会に集い、他の信仰者と共に神さまに礼拝をささげます。礼拝の中で説教を聞きます。つまりキリストの福音を聞きます。キリストの福音を聞くことなしに救われて生きることはできません。救われて生きる、それが救いです。救いに生きるために必要なことは福音を聞き続けることです。福音が私たちを生かすからです。

 礼拝に行かなくても、個人的に家で聖書を読めば福音を知ることはできるとの意見もありますが、それは無理だとは言いませんが、かなり困難であると私は考えています。神さまは福音を宣べ伝える者を召し出し、彼に語らせるのです。召された者は聖書を読み祈り、福音を証しとして説き明かします。私たちは教会の礼拝で福音を聞きます。そして福音を聞くことを喜び、神に祈り神を賛美します。ここに信仰者の幸い、喜びがあります。この幸い、喜びなくして救いはありません。

 第二に教会は信仰者の交わりです。私たちは一人で信仰に生きるのではなく、信仰者の交わりの中で信仰に生きます。信仰者が励まし合い慰め合います。コロサイ書3章には信仰者の交わりについて次のように書いています。

 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

 信仰者の交わりとは、互いに愛し合う交わりです。幸いな交わりであり、喜びの交わりです。イエス様はこう教えておられます。私たちは教会で愛すること、愛されること、その喜びを味わいます。

ヨハネ福音書13章34~35節
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。

 教会は福音を宣べ伝える働き、教会に属する信仰者を育てる働き、この世に向けての証しの働きをします。信仰者が共に協力して働きます。そこで求められるのが愛です。上に引用したコロサイ書は愛とは何かを具体的描いています。互いに愛し合う交わり、それが教会です。この交わりの中で生きてこそ、私たちは愛する者へと育てられていきます。

 第三に私たちは教会からこの世へ遣わされます。言い換えると世にあって信仰者としての使命に生きることになります。たとえば、私たちは「家庭」に遣わされます。家庭は生活の中心的な場ですが、私たちは教会から家庭に遣わされます。家庭では、夫婦が愛し合い、親子が愛し合います。親は子を育てます。子は親を敬います。主に仕える家庭の形成という使命に私たちは遣わされます。

ヨシュア記24章15節
わたしとわたしの家は主に仕えます。

 あるいは私たちは職場に遣わされます。職場の人との交わりがあり、共に仕事をします。共に仕事をする人たちを愛し、協力し、成果を上げるために誠実に仕事を果たします。私たちは善いわざをして生きていくように使命を与えられています。

エフェソ2:10
なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

マタイ5:16
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

 私たちは世に遣わされます。そこには様々な働きがあります。神さまは私たちに賜物を与え、ふさわしい働きができるように導き、力を与えてくださいます。私たちは教会から、この世に遣わされて生きていきます。教会あるいは神の家族に属してこそ、私たちは世に遣わされてよく生きることができます。

 

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