クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書 ルカ 8:11〜15
説教 実を結ぶ信仰


→今、家庭菜園で野菜を育てている人が多くなりました。

  • この教会にも、家庭菜園に取り組んでいる人がおられます。
  • 種を蒔き、苗を植え、育てるのです。
  • 実りが待ち遠しいです。
  • そして神のみ言葉の種を蒔き、実りを待ちます。
  • 私たちの心がそのは竹です。

→主イエスは種まきの譬えを語りました。

  • そして種は、「神の言葉である」と言われました。
  • そして種は、人の心に蒔かれます。
  • 言い換えると、神は人に語りかけられるのです。
  • 神の語りかけを聞く心がどのようなものであるのか
  • たとえで語られています。


→神は語られる、これは私たちの信仰の特徴です。

  • 言い換えると神が語りかける言葉を聞いて生きる、これが私たちの信仰です。
  • どのようにして神は私たちに語りかけられるのでしょうか。
  • 聖書を読む時、説教を聞く時、時には、信仰の友を通して語りかけられます。
  • 神の語りかけを聞くことができる、これは恵みではないでしょうか。

→聖書には神の語りかけを聞いた人が何人も登場します。

  • アブラハムという人がいました。
  • 彼は声を聞くのです。
  • 直接耳で聞いたのか、心で聞いたのか、それは分かりません。
  • その声は彼に語りかけました。
  • 「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私の示す地に行きなさい。
  • わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」。
  • アブラハムは、なぜその声を神の声と判断したのでしょうか。
  • なぜ、神の語りかけと判断することができたのでしょうか。
  • 彼は、信仰をもって、その声を神の言葉を受けとめたのです。


ヤコブという人がいました。

  • 彼はアブラハムの孫です。
  • 彼は兄弟のエサウに対してひどいことをしてしまい、家にいられなくなり家を出ます。
  • 家を出て孤独な旅をします。
  • 遙か遠くにいる伯父のもとに身を寄せるべく旅をします。
  • 夜、野宿します。
  • その時、彼は聞くのです。
  • 「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、
  • 必ずこの土地に連れ帰る。
  • わたしはあなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」。
  • 彼は、これが神の声だと分かりました。
  • 神は最初に言いました。「わたしはあなたの父祖アブラハムの神である」と言ったからです。


→その他神は、モーセに語られ、ヨシュアに語られ、多くの人々に語られたのです。

  • ですから、私どもの信仰というのは、神の語りかけを聞いて生きる信仰なのです。
  • 私どもの信仰は、神の戒めを守ることが中心にあるのではないのです。
  • 何よりも大事なのは、神との交わりなのです。
  • 私どもは神に祈り、神は祈りに応えてくださいます。
  • 神は私どもに語りかけ、私どもはそれに応答します。
  • キリスト教の信仰の特徴は、神との交わりに生きる信仰です。
  • 神の語りかけを聞き、それに応答して生きることに特徴があります。


→今日取り上げるのは、種まきの譬えです。

  • 種は神の言葉ですから、この種を蒔くのは神ご自身です。
  • 主イエスご自身、神さまが蒔かれた種です。
  • 神は救い主メシアとして、主イエスを送りました。
  • ユダヤ人は、神が送られた救い主を受け入れませんでした。
  • あたかも道ばたに蒔かれた種、それはユダヤ人たちでした。
  • しかし主イエスの弟子たち、あるいはパウロイエス・キリストを宣べ伝え、
  • 今や世界中に主イエスを信じる人がおります。
  • 教会の伝道が豊かな実を結んだと言うことができます。


→そして神は私どもの心にも種を蒔いておられます。

  • 種が最初に蒔かれたのは道端です。
  • 道端に蒔かれた種は人に踏みつけられ、鳥に食べられてしまうのです。
  • 悪魔によって蒔かれた種が奪い取られる人だというのです。
  • 神の言葉を聞いても受けとめないのです。
  • 神の言葉は、これはまさしく神の言葉だと思えるように聞こえるわけではありません。
  • アブラハムは、神の言葉だと「信じて」受けとめました。
  • 神は私どもの心に、聖書を通しあるいは説教者を通して語られるのです。
  • 時には信仰の友を通して語られます。
  • 私どもは信仰をもって神の語りかけとして受けとめるのです。
  • 道端にたとえられる心は、信仰によって受けとめることのできない心です。
  • 聞きっぱなしで忘れてしまいます。
  • 神の言葉は、その人を救うことがありません。
  • 神の言葉は、その人には何の役にも立たないのです。
  • 神の言葉を受けとめようとしない心、それが道端で示される心です。


→次の種は、石地に蒔かれます。

  • 石地に蒔かれた種は、根を張ることができず、枯れてしまいます。
  • 石地とは、種が根を張ることができない場所です。
  • 種が根を伸ばすことができないのです。


→植物を見て面白いことに気づきます。

  • 雑草を抜く時、気づきます。
  • ひょろひょろと伸びる草は、案外簡単に抜けます。
  • 根まで簡単に引き抜くことができます。
  • 根が深く張っていないからです。
  • 背丈だけが伸びているのです。
  • 他方で、葉は出しても上に余り伸びていない草があります。
  • 葉が地面に這いつくばるようになっています。
  • 引っ張っても根こそぎにすることはできません。
  • 根がしっかり張っているからです。
  • 人に踏まれても平気です。
  • 根がしっかり張っているからです。


→御言葉が根を張るということはどういうことでしょうか

  • 試練があっても、御言葉、つまり神の言葉に立ち続けることを意味します。
  • 何があってもみ言葉を捨てないこと、み言葉を頼りにすることです。
  • 神さまの言葉は真理であると確信することを意味します。
  • 真理と確信するので、何があっても、これを捨てないのです。
  • こうして最後まで信仰に立ち続けることができるのです。


→御言葉はどのようにして根を張るのでしょうか。

  • 信仰者が、神の言葉に従う時、根が伸びるのです。
  • 神の言葉を知っているだけでは、根は伸びません。
  • 神の言葉に信頼して一歩踏み出すとき、根が伸びるのです。
  • 神の言葉に導かれて、悔い改める時、根が伸びるのです。
  • 神さまの語りかけに応答する時、根が伸びるのです。
  • たとえば、心配事があって心が思い煩いでいっぱいと言うことがあります。
  • 気持ちが穏やかでないのです。
  • 神さまはそんな私どもに何と語りかけておられるのでしょうか。
  • 「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。
  • 何事につけ感謝を込めて願いと祈りをささげ
  • 求めているものを神に打ち明けなさい。
  • そうすればあらゆる人知を越える神の平和が、あなた方の心と考えとを
  • キリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:6〜7)。
  • どうしようどうしようと思い煩いで心がいっぱいで苦しい時、
  • 神に感謝を込めて祈りをささげ、
  • 求めているもの打ち明けなさい、というみ言葉に従うのです。
  • 問題は解決していなくても平安が訪れるます。
  • この時、み言葉の根が伸びるのです。
  • あなたがみ言葉に従う時、御言葉の根がぐっと伸び、
  • 神の語りかけに応答すればするほど、根が深く広く張るのです。
  • 神の言葉は知っているだけでは、根は張りません。
  • その神の言葉に応答する時、根は伸びるのです。
  • 神の言葉を真理とする根が伸びるのです。
  • 試練が起きても、根が張っていれば、信仰は揺るがないのです。


→別の種は茨の生えている土地に落ちます。

  • この種は根を張り伸びていくのですが、茨に覆われてしまうのです。
  • まっすぐ上に伸びていくことができなくなるのです。
  • 茨に負けてしまうのです。
  • 思い煩いや冨や快楽に負けて実が熟するに至らないというのです。
  • 茨の地とはどういう心を指しているのでしょうか。
  • 茨の土地というのは、何が大切なのかを見分けることができない心です。


→主イエスの教えられた言葉にこのような言葉があります。

  • 「あなたがたは神と富とに仕えることができない」。
  • 神さまと冨を共に大切にすることはできないというのです。
  • 神を第一とする生き方と冨を第一とする生き方は両立しないのです。
  • 人はどちらかをより大切にします。
  • 神を第一としようとしても、それを妨げるものが色々とある心、
  • それが茨の生えている土地です。


→神を第一にしているつもりでも、そうではないことがあります。

  • 冨や快楽は人を誘惑します。神に仕えるよりも、こっちの方が楽しく、幸福になれるよという誘惑がこの世にはごろごろしています。
  • あるいは、思い煩いとあります。
  • 神のことを考えている暇はない、自分の生活のことで大変なのだからと言って、心から神を閉め出してしまうのです。
  • あるいは、「心の飢え渇き」ということがあります。
  • 私たちの心を満たすのは、神さまだけです。
  • 神さまとの交わりに生きている時、心は満たされるのです。
  • しかしストレスがあったり、何かの理由で、神さまとの交わりが薄れると
  • 心に隙間ができて、自分で自分の心を満たそうとします。
  • あれをしたり、これをしたり、忙しくするのです。
  • すると神さまはどこかに行ってしまうのです。
  • 神の言葉も根を張り、芽を出し、実ろうとしても
  • 実が熟するまでに至らないのです。
  • 神の言葉によって生きることこそ、本当に大切なのだという価値観を持たないと、
  • 心は別のものに支配される茨の土地になりかねないのです。


→実を結ぶ良い土地とはどんな心なのでしょうか。

  • それは立派な善い心でみ言葉を聞き、よく守り、忍耐するとあります。
  • それは、神の言葉は真理であると確信し、この真理に立って生きる心です。
  • 神の言葉が真理であると確信できない心は、神の言葉が根を張っていない心です。
  • 試練が起きる時、神の言葉は真理だ、と抵抗できないのは、根が張っていない心です。
  • 実を結ぶ心、それは神の言葉に立って生きることが一番大切という価値観を持つ心です。
  • 神の言葉に立つことを大切にする心、神の言葉を真理とする心はぶれることがなく、
  • まっすぐに伸びて、実を結ぶのです。
  • 種を蒔いてから実を結ぶには時間がかかります。
  • ですから実を結ぶ心、それは忍耐する心です。


→実を結ぶとありますが、実って何でしょうか。

  • 御言葉がもたらす実です。
  • 実とは何か、それは分かる人には分かるんです。
  • つまり御言葉に立って生きている人は、実が分かるのです。
  • これが、実なんだなと体験し、うれしくなり、感謝も生まれるのです。
  • 主イエスは、ぶどうの木の譬えの中でこう言われました。
  • 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
  • 人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」
  • 「あなたがたが私につながっており、私の言葉があなたがたのうちにいつもあるならば」。
  • 実を結ぶ人は、主イエスの言葉が心にとどまっている人です。
  • 御言葉に生きる人のことです。
  • み言葉に従う人は、ぶどうの実のように沢山の実を結ぶのです。
  • いつも実を見て感謝し、希望を持って生きることができるのです。
  • あなたがみ言葉に真理と信じ、根を張って生きるなら、実を結ぶのです。
  • あなたがみ言葉に従うことを大切にして生きるなら、実を結ぶのです。
  • これが実なんだとわかりうれしくなり、感謝するのです。


祈り
天の父、
あなたが語りかけてくださるのを聞く心を与えてください。
あなたの語りかけを聞く恵みを与えてください。
あなたの言葉を真理とする柔らかな心を与えてください。
あなたの言葉を一番大切にする謙遜な心を与えてください。
み言葉に従うことによって与えられる実を喜ぶ心を与えてください。
イエス・キリストの御名により祈ります。