クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリスト者は神の子(つづき)

「ちょっと聞いてほしいんですがいいですか、holalaさん」。
「何ですか」。
「キリスト者は神の子だという話しです」。
「わかりました。どうぞ」。
「私は洗礼を受けて、教会の礼拝に毎週出席している者です」。
「じゃあキリスト者ですね。それで何か問題があるんですか」。
「昨日のブログの最後にガラテヤ書が引用されていましたよね。それで聖書開いて読みました。すると次の27節です」。

3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。 

 「27節にキリストを着ているとありますよね。私たちキリスト者は神の子で、キリストを着ているとあります。神の子と呼ばれるのに違和感というか、何かしっくりしないものがある上に、キリストを着ているとあります」。
「それが何か問題ですか」。
「キリストを着ているっていうんですよ。何か自分に合わないものを着せられているようで何というか、戸惑いがあるんですよ。何か自分が自分じゃなくなるような感じがするんです」。
「キリストを着せられている、うれしくありませんか」。
「何か背伸びしなければいけないようで、しんどいなって感じるんです」。
「そうですか。あなたはキリスト者である自分をどう思っているんですか」。
「私はどちらかというと、自分は罪深いと思っています」。
「せっかくクリスチャンになったのに、罪深いと思っているんですか。実は、私も自分は罪深い者だと思っているんですよ。でもね、神さまがあなたは神の子と言ってくださるので、私はそれを信じるんです。それは自分が罪深いことを否定するわけではないんです。神さまは私のことを神の子と見てくださるので、私は自分は罪深い者ですと言うのをやめにしたんです。私は自分を罪深いと言う。神さまは私を神の子だと言ってくださる。私は神さまの目に映る自分が真の自分だと考えるようにしたのです」。
「でもキリストを着ているって言われてどう思いますか」。
「馬子にも衣装ではないですが、自分には上等すぎるものを着ている気がします。でも悪くないなと思います」。
「でも自分に合わないと思うものを着るなんて」。
「だから私は着ているものに自分を合わせようと思っているんです。神の子らしく生きていきたい。キリストを着てそれが似合う人になりたいと思うんです」。
「そうですか、でも・・・」。
「私は罪深い者ですって言う人は何を着ているのか分かりますか」。
「いやわかりません」。
「はっきり言えば、泥で汚れてどす黒い服ですよ」。
「泥で汚れて!?」。
「私は罪深い者ですと言って、うれしいですか。晴れやかな気持ちになりますか。見て、キリスト者である私を見てって言えますか」。
「言えません」。
「それは泥で汚れてどす黒い服を着ているからです。キリストを着れば晴れやかな気持ちになります。そしてあなたも着てみないって言えますよ」。

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