クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生を感謝すること

 大きな事故、災難、災害に遭うこともなく、今日まで生きてきました。感謝なことです。80才を前にしている私は、いつ人生が終わってもおかしくない状態です。そこで一つ問いがあります。これまでの自分の人生を感謝できるのか、という問いです。自分の心が素直に正直に「これまでの人生を感謝します」と言えるかどうか、という問いです。

 人生を振り返れば、感謝できることを列挙することはできます。だから「これまでの人生を感謝します」と言うことはできます。でも理性ではなく心から、喜びをもって感謝しますと言えるにはどうしたらいいのか。そんなことを今、考えています。

 自分の心が、自分の人生を満足しているなら、感謝しますと言うことはできるかもしれません。でも聖書によれば、最後の審判があると教えられますから、この世の生活をどんなに大満足しても、最後の審判でアウトなら、その満足は空しいものです。キリスト者はその信仰によって義とされていますから、最後の審判においては、救いに入れられますから、心配する必要はありません。

 何を基準に喜び感謝するのか、という問いもあります。ジュネーブ教会信仰問答の問1を紹介します。

問1:人生の特に目指す目的はなんですか
答え:人をお造りになった神を知ることです。

ウェストミンスタ-小教理問答の問1は次の通りです。

問1:人間の第1の目的は、何ですか。
答え:人間の第1の目的は、神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとすることです。

ハイデルベルク信仰問答の場合はこうです。

問1:生きるにも死ぬにもあなたの唯一の慰めは、何ですか。
答え:わたしの唯一の慰めは、生きるにも死ぬにも、わたしの体も魂も、わたしのものではなく、わたしの真実の救い主、イエス・キリストの所有であるということです。

 イエス・キリストの所有ということについては、ローマの信徒への手紙14章8節が参考になります。

ローマ14:8
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

 新しい年2025年は、神さまの前で自分の人生を感謝し、喜びますと言えるようにしたいと願います。

 ブログは、1月6日から開始します。