ローマ 6:4
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
この聖句を思い巡らし、自分がキリストと共に死に、キリストが死者の中から復活したように私も新しい命に生きるようになったことを振り返っています。今回は2回目です。
自分をどう見るか、という自己理解の変化です。自己理解の変化は徐々になされていました。人間は自分と他人を比較します。その結果、いくつかの感情を人は抱きます。劣等感を感じたり優越感を感じたり、妬み・嫉妬を感じたり、自分を卑下したり、高慢な人間になったりします。私の場合は、劣等感、妬み、自分を卑下するなどの思いがありました。自分の才能のなさに落胆もしていました。しかし自分は神さまに愛され、牧師の働きに召されていると考え、ありのままの自分を受け入れることにして、比較から生まれる感情に左右されることはなくなりました。
そしてはっきりと自分自身を受け入れることができたのは、キリスト者のアイデンティティーを知ったときです。つまりキリストに結ばれた自分は何ものかを知ったときです。私は洗礼を受け、キリストに結ばれ、神の子とされたことを知り、これを受け入れました。私は神の子とされている、それならこのことを喜び感謝しよう。私は神の子なら、神の子らしく歩んでいこうと心に決め、歩んできました。
自分の感覚・経験で見る自分はキリストと共に死に、キリストと共に新しく生まれ、キリスト者のアイデンティティーに生きる自分となりました。罪と死の支配からも解放されました。