クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

主のみ声を聞きたい

 今日はマタイ福音書26章26節以下、イエス様が弟子たちと共に過越の食事をした場面を読みました。「これはわたしの体である」「これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と語られました。26章の最初でイエス様は十字架につけられるために引き渡されると語り、自分が十字架で処刑されて死ぬことを覚悟しています。

 イエス様はこの食事のときに、ご自分の死が何のための死であるかを語りました。多くの人の罪が赦されるように自分の血が流されるというのです。旧約聖書では人が罪を犯した時、犠牲の供え物を献げて罪の赦しを得ることになっています。いけにえの血を流す、いけにえの血(命)をもって罪を償うのです。イエス様は御自分を罪のためのいけにえと考えておられます。そして十字架の上で流される血により、罪の赦しが得られると語られました。

 2021年に入って1月と2月の礼拝では、聖餐の執行は行われませんでした。奈良高畑教会では、奈良市の新型コロナ感染拡大レベルを聖餐執行の基準にしています。このレベルが「2」に下がったので明後日の礼拝では聖餐が執行されることになりました。うれしいです。

 聖餐にあずかるに際して、私には一つの祈りがあります。司式者が「これはわたしの体である」「これはわたしの血である」と語ります。その言葉をイエス様ご自身の言葉として聞くことができるようにとの祈りです。あの主の晩餐の場に自分の身をおき、主のみ声を聞きたいとの思いです。聖霊の導きの中で主の声を聴きたいと思っています。 

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サルスベリの空の実