ローマ 1:16
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
パウロは、福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力だ、と語ります。福音は神の力で、信じる者すべてに救いをもたらすというのです。聖書が救いを語るとき、その救いには二つの救いがあります。一つは終末における救いです。イエスを信じる者は神の裁きにおいて救いに入れられます。今ひとつの救いは、今現在の救いです。罪からの救いです。私たちは今、罪から救われて生きることができ、終わりの日には罪を裁かれることなく救いに入れられ、神の国に迎えられます。
では今、神の力によって救いを与えられるとはどのようなことでしょうか。救いをもたらす神の力は、イエス・キリストを信じる者にどのように働きかけるのでしょうか。
ローマ 6:17~18
しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。
神の力は、信仰者を罪から解放するのです。罪の支配から解放するのです。福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力という時、この神の力は信仰者に働き信仰者を罪から解放するのです。
旧約聖書出エジプト記は、エジプト王の奴隷であったイスラエルの民が、奴隷の苦しみからの救いを神に叫び求めたとき、神は彼らを救い、エジプト王の奴隷状態から解放したことを物語ります。この出エジプトの出来事は単なる昔話ではなく、私たちが罪から解放されることを指し示す出来事です。
コリント一1:18
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
ここでは十字架の言葉は神の力とあります。十字架の言葉つまりイエス・キリストの十字架の出来事を宣べ伝える言葉は神の力だというのです。イエス・キリストの出来事は福音ですから、福音は神の力だと語っています。福音を知るとは、私たちに働きかけ、私たちを生かす神の力を知るということです。単に知識として知るだけでなく、体験的に神の力を知るのです。それが福音を知るということです。
もしあなたが自分は罪を犯し罪深い者であるとの自己像をもっているとしたら、あなたに働きかける神の力を信じることが大切となります。福音は、私たちの罪が赦されることを語るだけではなく、私たちが罪から解放されることを告げます。私たちは神の力によって、言い換えるなら神の恵みによって、罪から解放されます。これが福音です。
何のために出エジプト記があるのでしょうか。出エジプト記は神の民イスラエルの誕生を語ります。その神の民はエジプト王の奴隷状態から解放されて誕生しました。新しい神の民であるキリスト者は、罪の支配から解放されて誕生した神の民です。