イスラエルの民の奴隷状態からの解放、これはイエス・キリストによる罪からの救いのモデルでした。つまりイエス・キリストによる救いは、罪の赦しだけではなく、それを越えて罪の支配からの解放です。
そればかりではなく、神による解放がどのようになされるのか、それも共通しています。それを明らかにすることは罪からの解放を福音として受けとめ、この福音に生きるために大切なこととなります。
そこでイスラエルの民がエジプト王の奴隷から解放されたときのことを思い起こすことが大切です。そこには4つの大切なポイントがあります。
まず第一に、イスラエルの民は、自分たちの努力では、自分たちを解放することはできなかったということです。彼らには自分たちを解放する力がなかったということです。無力であったということです。自己の無力さを認める、これが解放のために必要なことです。
第二に、神の力に頼るということです。自分たちは無力なので神の力にすがるということです。神の力はエジプト王の力に勝り、神は自分たちを解放してくれると信じることが大切でした。モーセは神の力を信じ、神に信頼し、イスラエルの民を導きました。
第三に、エジプト王の支配領域から出ることです。エジプトの領土から出れば、エジプト王の支配はありません。支配領域から出ること、これが大切です。エジプト王の支配力が大きく、その領土がどんなに大きく、広くても、その領土の外に出れば、エジプト王の支配を受けないですみ、その支配から解放されます。神はエジプトで色々な災いを行い、イスラエルにエジプトを出て行くよう、エジプト王が命令するように仕向けました。
第四に、解放を願う者は、本気で願うことが大切であり、時に本気で願っていることを態度で示すことが大切だということです。
イスラエルの民がエジプトを出て約束の地を目指して旅を始めました。するとエジプトの王は、イスラエルの民を追い出したことを後悔し、連れ戻そうとして追いかけます。そこに神さまの計画があったことは出エジプト記14章を読めば分かります。
イスラエルの民は海辺で宿営することになりました。するとエジプトの軍隊が背後から迫ってくるのに気づきました。前は海、後ろはエジプト軍。恐れに囚われたイスラエルの民は、エジプト王の奴隷のほうがましだ、なんで自分たちをエジプトから連れ出したのだ、と文句をいう始末です。
本気でエジプト王の奴隷状態からの解放を願うなら、この場面で神に助けを求めることが必要でした。イスラエルの民は、エジプト王の支配からの解放を本気で願っているかどうか、試されたことになります。モーセは民に言います。
「今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(出エジプト記14:13)。
神はイスラエルのために働き、エジプト軍は敗退し、イスラエルの民は約束の地を目指して旅を続けました。神による解放を得るためには、4つのポイントがあります。
- 自分たちの無力を認めること
- 神の力に信頼すること
- 支配領域の外に出ること
- 解放を願う意志を持ち続けること。
そしてこの4つのポイントは、罪の支配から解放されるためにも必要です。この4つが揃えば、罪からの解放は実現します。