これはローマの信徒への手紙8章28節の言葉です。この聖句を昨日思いめぐらしました。
8:28
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。
万事が益となるように共に働くとあります。万事が共に働いて益となるというのです。この節は18節の理由を語る文脈の中に置かれています。
8:18
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
現在の苦しみは取るに足りないとパウロは語ります。そしてこの現在の苦しみは何らかの益につながると解釈できます。つまり現在の苦しみは「万事」の一つで、益につながるのです。どのような益につながるのか、それはすぐには分からないかも知れませんが、益になると信じる信仰に私たちは生きていると書かれています。
今の私には、ささやかな苦しみがあります。ささやかですが、なかなか解決できません。何かというと、朝目覚めた時まだ起床する時間ではないので床の中でしばらくの時を過ごしますが、その時の私の心には憂うつな思いがあります。
この憂うつの原因は死です。自分は歳をとり、死を身近に感じます。死を意識する、それが憂うつとなるのです。先日俳優の西田敏行さんが亡くなりました。彼はあるインタビューの中で、自分は死をいつも意識していると語っていました。彼もそうなんだ、と思いました。
「万事は益となる」との聖句から、この憂うつも万事の一つとして益につながると理解することにしました。この場合の益は、神をたたえること、と考えることにしました。朝目覚めて、神をたたえることができるなら、こんな感謝はないと思います。
万事が共に働いて益となるのですから、いくつかのことをしたいと思いました。それらのことが共に働いて、益につながるからです。今朝、考えたことは、
- まず朝目覚めて、神をたたえることができるように祈る
- 『わたしはよろこんで歳をとりたい』(イェルク・ツィンク著、こぐま社)を読む。
- 讃美歌30番で神を賛美する。
とりあえず、上の三つのことを行うことにしました。