エジプトを脱出し、約束の地に入ったイスラエルは、自由に生きることができました。彼らは神から十戒を与えられました。第一の戒めは、私のほかに何ものをも神としてはならないです。
約束の地に入ったイスラエルの民は、周囲の人たちが拝んでいる神を礼拝するようになり偶像礼拝に陥りました。目に余ると神は、周辺の民にイスラエルを侵略させ、イスラエルの民は支配されるという苦しみを味わいました。神はイスラエルの民に、罰、懲らしめを与えたのです。イスラエルが悔い改めると神は士師(しし)と呼ばれる勇者を起こし、支配していた民を追い払わせました。このようなことが繰り返されました。旧約聖書の士師記参照。
やがてイスラエルの民は王を欲するようになりました。王を立て、軍隊を持てば他国民からの侵略を防ぐことができると考えたのです。イスラエルの民は見えない神より、見える軍隊を頼りにしました。神は王を立てることを許し、サウルが王となりました。その後ダビデ、ソロモンが王となり、ソロモンの死後、イスラエルは南のユダ王国、北のイスラエル王国に分裂しました。両王国とも王が次々に立てられましたが、偶像礼拝を行う王が多く、神は預言者を通して神に立ち帰るように促しました。しかし神に立ち帰ることなく、北のイスラエル王国はアッシリア帝国によって、南のユダ王国はバビロン帝国によって滅ぼされてしまいました。神に裁かれたのです。
神との関わり、交わりに生きるべきイスラエルでしたが偶像礼拝をしました。イスラエルの民は彼らの先祖をエジプトから救い出した神だけを神とすべきでしたが、別の神を拝んだのです。神はこれを姦淫と呼びました。姦淫は十戒で禁じられている罪です。
その後イスラエルの民は、ペルシャ帝国、ギリシャ帝国に支配され、その後シリアに、さらにローマ帝国に支配されました。
イスラエルの歴史は神との交わりをないがしろにする歴史でした。そして時満ちて、イエスが登場し、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝え、救いの働きを開始されました。人々を神との交わりに招くためでした。
コリント一 1:9
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。ヨハネ一 1:3
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
私は30歳で洗礼を受けました。一年後に神学校に行きました。4年後、サラリーマンをやめ、神学校を卒業し、牧師となりました。信仰生活が短かったので信仰生活とは、日曜日は礼拝を守り、神の教えを守って生きることぐらいの認識しかないまま、牧師となりました。それから何年経ったでしょうか。今ははっきり覚えていませんが、信仰とは神との交わりに生きることであると分かり、納得しました。信じる者は神の御心を大切にするのです。神との交わりに生きるからです。だから神の教えに従います。従わなければならないからではなく、神の御心を大切にしたいから、従います。従いたいから、喜んで神の教えに従います。キリスト者って自由なんだと分かりました。