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実はイスラエルも(8)信仰の継承

 ダビデ王が死んだ後、ソロモンが王となりました。彼が王の時、イスラエルは最大の領土を誇りました。彼は最初、神を敬う王でした。彼の信仰を物語るエピソードがあります。ある時、神は夢枕に現れソロモンに言うのです。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」。するとソロモンは神に願います。

列王記上3:6~9
あなたの僕(しもべ)、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう」。

 これを聞いた神は次のように言います。

列王記上3:11~14
あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。

 ソロモンはやがて神殿を建設します。その時、ソロモンは敬虔な祈りを捧げます(列王記上8章)。神を畏れ敬う王の祈りです。ソロモンのもとを訪れたシバの女王は、ソロモンのもつ富とソロモンの知恵と富に驚嘆しています。やがてソロモンは多くの外国人の女性を愛し、そのとりこになったと聖書に書かれています。権力を持つ地位にいていつの間にかおごり高ぶるようになったのです。

列王記上11:3~4
彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。

列王記上11:5~7
ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。

 ソロモンは偶像礼拝を行うようになりました。ソロモンは神の怒りを買いました。その結果、イスラエルの国は北のイスラエルと南のユダに分裂しました。ソロモンの子孫は南のユダ王国を支配する王となりました。その王の中には敬虔に神を敬う王もいれば、偶像礼拝を行う王もいたのです。偶像礼拝を行う王の子が敬虔な王だったり、敬虔な王の子が偶像礼拝を行う王だったりします。信仰の継承は困難であったということができます。

 これを見て思います。信仰というのはある意味、個人的な事柄であると。つまり聖書における神信仰は、神との交わりに生きる信仰です。神との関わりに生きる信仰です。一人ひとりの個人が神との交わりに生きるのです。

 他方、王は権力を持ちます。富をもちます。すると神との関わりに生き、神を畏れ敬うなんて面倒だ、と考える王も出てきます。自分の好きなように生きていきたいと考える王がでてきます。偶像礼拝を行い、偶像に供え物を献げ、自分の歩みの祝福を願う王が出てきます。だから信仰の継承がなされません。偶像礼拝を行う王から敬虔な王が出てきたり、敬虔な王から偶像礼拝をする王が出てきたりします。

 神の民イスラエルの歴史は、基本的に神を敬わない方向に進んでいきます。そして北のイスラエル王国、南のユダ王国はともに滅びてしまいます。

 聖書が伝える信仰は神との交わりという面があり、信仰の継承は簡単ではなかったことがわかります。信仰の継承が簡単ではないことは今でも同じです。

 

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散歩していると鹿が